「おことば」が明らかにしたのは、陛下は天皇の務めを「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」として、そのために皇后陛下と共に、「遠隔の地や島々」を含む「ほぼ全国に及ぶ旅」を行い、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添」ってきたということである。高齢によってその責務が果たし切れなくなるとして退位を望まれたのである。

 この旅の意義を陛下は「象徴的行為」という語に託された。この語は憲法学的には未聞の概念だ。それが意味するのは傷つき苦しむ人々の「傍らに立つ」という具体的な行為であり、とりわけ先の戦争の戦没者たち(日本人に限られない)の永眠の土地に赴き、「その声に耳を傾け、思いに寄り添う」鎮魂・慰霊の儀礼をなすことであった。

 日本を霊的に鎮めること、それが天皇の国事行為の本質であるというのが陛下の真率な思いだと私は理解した。この「象徴的行為論」に異論のある方もいるだろう。新しい政治概念なのだから、国民的な合意形成までには長い時間がかかるだろうし、かかって当然である。それでも、この論件について熟考するのは日本国民の市民的成熟に不可欠のことだと私は思う。

AERA 2017年8月28日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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