原爆で破壊された長崎の旧浦上天主堂の壁を、プロジェクションマッピングで映し出した。観衆からは感嘆の声が漏れた(撮影/高瀬毅)
原爆で破壊された長崎の旧浦上天主堂の壁を、プロジェクションマッピングで映し出した。観衆からは感嘆の声が漏れた(撮影/高瀬毅)

 あの戦争から今年で72年。体験した人たちが「いなくなってしまうとき」が目の前に迫っている。その危機感に突き動かされているのか。新しいテクノロジーで、戦争を伝えようとする若者たちがいる。

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 空一面、夜のように暗い。あちこちで上がる火の手。周囲は瓦礫の山。抜け出せそうなところは、どこにもない。ゴーッという不気味な風の音の中に、物が燃えてはぜるパチパチという音が混ざる。足元を見ると、人があおむけに倒れ、全身が炎に包まれている。あまりにむごたらしい。100メートルほど離れたところに見えるのは、壁などが焼け落ちた産業奨励館、いわゆる「原爆ドーム」だった。

 ゴーグルを外すと、目の前はPCの並んだ静かな実習室。そのギャップに一瞬、戸惑いを覚えた。

●被爆を伝える語り手は広島市内にわずか150人

 体験したのは、被爆直後の広島の爆心地を再現したバーチャルリアリティー(VR)。広島県立福山工業高校計算技術研究部の生徒13人が制作した。360度の映像と音による仮想空間を体験できる。

「以前から爆心地のCGを制作していたのですが、VR元年と言われた昨年から、取り組み始めました」

 そう話すのは、制作指導に当たる長谷川勝志教諭(51)だ。

 VRは「体験」する人がいろいろなところを「歩き回れる」ので、建物も通りも風景も、可能な限り再現して作り込まなければならない。原爆投下前に米軍が空から撮った写真や、当時のポストカードなどを探した。戦前の建物が残っている場所を調べたりもした。4人の被爆者から話を聞いた。

「話を聞くのはつらかった。ひどいやけどや炭化した遺体の写真などを何度も見るので、気分が悪くなりました。でも、被爆者の方には、恐ろしさを伝えてほしい、と言われます。『僕たちが怖いと思うくらいでないと、伝わらない』と思って制作しました」

 そう話してくれたのは、部長の平田翼君(18)。きっぱりと続けた。

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