プロジェクトの中心となっているのが岡山史興(ふみおき)さん(32)。長崎出身。高校生のとき、核廃絶を訴える「高校生1万人署名活動」を立ち上げ、高校生平和大使として国連にも行った。大学進学で関東に来て、原爆への関心が低いことに愕然(がくぜん)とした。

「8月6日が広島原爆の日と知らず、『ハムの日』と言ったりする人もいました。より伝わる伝え方を考えないといけないと思いましたね」

 岡山さんは、首都大学東京の渡邉英徳准教授を中心とした「ナガサキ・アーカイブ」の制作に参加。グーグルアースで、立体的な長崎の地形を俯瞰(ふかん)した画像に、被爆者の写真を表示してあり、体験談が閲覧できる。

「継承する会」で、広報活動のボランティアをしている中尾詩織さん(26)も長崎出身の被爆3世。東京と長崎との意識の落差は大きいという。

「環境が変わったことで、被爆3世ということが自分の特異なアイデンティティーになっているのだと気づかされました」

 周囲は被爆の記憶の継承活動を「すごいね」と言うが、岡山さんは、それではいけないと話す。

「他人事(ひとごと)なんです。これを『いいね』に変えないといけない」

 アートによる継承を模索しているのは被爆3世の酒井一吉さん(32)。長崎出身。東京で、美術作家として活動している。酒井さんが取り組んだのは旧浦上天主堂をプロジェクションマッピングで再現することだった。

 旧浦上天主堂は、原爆で破壊されたものの、正面や側面の壁の一部が残された。この被爆遺構が視覚的に与えるイメージは、キリスト教徒殉教の物語をもつ長崎の歴史性と重なって、独特のメッセージを放っていた。しかし、米ソ冷戦真っただ中の1958年、反対の声を押し切って撤去され、広島の原爆ドームに相当する長崎の被爆遺構は失われてしまった。

 これを映像で再現できないかと酒井さんは考えた。高校時代の友人らとプロジェクトを立ち上げ、資金や補助金を募った。被爆70年にあたる15年8月9日の原爆の日を前に2日間、再建された現在の浦上天主堂の壁に旧天主堂の廃虚の遺壁を映し出したのである。

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