「事前に問題点を全部洗い出して、一つずつクリアしました。ゴンドラなどの機材の搬入は、多くの店舗の営業が終わり、バスの運行が止まった深夜から明け方にかけて、目の前の鎌倉街道のバス停からクレーンで行いました。4階と5階の間も、商業施設と住宅の境界が曖昧だったので、工事をしながらはっきりさせました」

 横浜ヘリオスの大規模修繕は、昨夏、無事完了した。住民や店舗、事務所への根回し、膨大な調整作業が求められた。建物丸ごと修繕ができていれば、もう少し、スムーズにいっただろう。

 それにしても、なぜ、低層の商業施設と上階のマンションで、こうも意識が違うのか。疑問を解く鍵は、タワーマンションの建設に至った「市街地再開発事業」の過程に隠れている。

 日本の超高層マンション第1号は、住友不動産が1976年に埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)に建てた21階建ての「与野ハウス」だといわれる。87年に大阪市都島区にベル・パークシティ・G棟(36階建て)が建ち、高さ100メートルを突破した。初期のタワーマンションは都市計画上の容積率や日影の規制により、広大な敷地を要した。必然的に地価の低い郊外や河川沿いに建設され、数も少なかった。

●圧倒的に床面積が広い 住宅側の議決権が半分以下

 流れが変わったのは、97年。バブル崩壊後の不良債権処理が不動産・建設業界にのしかかるころだった。国は、容積率の上限を600%まで緩和し、日影規制を適用除外とする「高層住居誘導地区」を導入。さらに建築基準法を改正し、廊下や階段を容積率に含まないようにした。容積率を青天井にして超高層化の道を開き、塩漬けの土地の開発を促したのだ。法改正を機に超高層の建設に拍車がかかる。

 まさにこの年、横浜ヘリオスが立つ上大岡駅前B地区の商店密集地域の市街地再開発事業も都市計画決定された。

 一般的な市街地再開発事業は、地権者が土地を出し、ディベロッパーが資金を提供して区域内に高層の再開発ビルを建てる。再開発ビルの床は権利床と保留床に分かれる。地権者は所有していた土地・建物の価値に見合う広さの権利床を取得できる。これを権利変換という。一方、高層化で生まれた保留床はディベロッパーが持ち、分譲や賃貸をして活用する。

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