●筑波大での修業が力に

 その過程で、協力を依頼されたのが谷川監督(当時・コーチ)だった。05年末から07年まで、谷川監督は現在金を教えている朴コーチと男子短距離選手の2人を筑波に受け入れた。朴コーチはアジア大会銅メダルなどの成績を上げ、110メートル障害の当時の韓国記録も出した。

 その後には、女子100メートル障害の韓国記録を塗り替え、金とともに今年の世界選手権に出場する鄭恵林を指導。4人目の教え子となったのが、金だった。谷川監督が言う。

「国籍などに関係なく、ウェルカムで指導しているだけです。現状打開には別の環境で学ぶのは良いこと。金さんの場合もネガティブをポジティブに変えるターニングポイントにはなったと思います」

 事実、教え子4人中3人が韓国記録を出した。淡々とした自然体のスタンスでありながら、選手に向ける視線には愛情がこもる。金の走りを見た谷川監督は、ある課題を見いだした。「焦らずに重心の落ちてくるポイントで脚を踏み込めば、エネルギー効率も上がって後半も伸びる」。目印を等間隔で並べたり、下り坂を利用して走ったりするなどのメニューを伝授した。

 金は「9秒台が出せるだろうか」と不安を漏らすこともあったという。だが谷川監督は、「日本人が目前に迫り、中国人の蘇炳添選手はすでに出している(15年に9秒99を記録)。彼らにできて君にできないはずはない」と奮起を促した。
 それらの延長線上にあった今年の10秒0台突入。金は「日本での経験が力になっている。日本や中国の選手には負けられない」と決意を口にした。

 8月4、5日、ロンドンでは、日中韓による9秒台を巡る競演が見られるかもしれない。

(ライター・高野祐太)

AERA 2017年8月7日号