一方、当時の福島第一のような古い原発に対し、耐震安全性を再検討する審査も原子力安全・保安院が進めていた。当然、東電の担当者らはこれをクリアするため、津波地震を考慮した対策をとっておくほうが望ましいと判断。08年6月、上司だった故・吉田昌郎原子力設備管理部長(当時)に報告している。これについて吉田氏はこう言ったという。

「私では判断できないから、武藤さんにあげよう」(東京第一検察審査会の議決から)

 6月10日の会議で津波地震に対応すべき理由や対策工事について武藤氏に報告したが、その場では結論が出ないまま。だが7月31日の会議で「方針」は明らかになる。武藤氏は津波地震対策を先延ばしすること、そしてその方針を保安院に根回しするよう、担当者に指示したのだ。10月にはおおむねこの方針が了解を得たとされている。

 先延ばし方針を決めた当時の東電は2期連続の赤字で火の車。新潟県中越沖地震(07年)で被害を受けた柏崎刈羽原発の補修や補強にも4千億円以上かかる見込みだった。一方で福島第一原発の津波対策の費用は数百億円。これを見送ったのは、誰の意思だったか。社内に「異次元のコストカット」(東電社内報から)を強いていた勝俣氏、武藤氏の上司の武黒氏は、津波対策の先延ばしにどこまで関わったのか。いまだ不明な点は多い。

●民事で国・東電「クロ」

 この初公判に至るまでの道のりは平坦ではなかった。東京地検は2度にわたり勝俣氏らを不起訴としたが、検察審査会が2度とも覆し、強制起訴が決定。事態を二転三転させたのは、津波の「予見可能性」についての両者の見解の相違だった。

 検察は「長期予測は科学的にまだ不確かだった」として、起訴を見送り。各地で起こされている民事訴訟でも、国や東電は同様に予測の不確かさを理由に事故は避けられなかったと主張している。地震本部が予測した地震は、福島沖で発生した歴史記録が残っておらず、信頼度は低いという見方だ。

 しかし、東電側の主張には矛盾がある。日本海溝沿いで起きうると長期予測された地震に関して、東電は「揺れ」は想定。福島第一の安全性を確かめ、08年3月に国に報告書を提出した。つまり歴史記録にない地震について、揺れは想定するのに津波は「不確かだから」と想定していない。こんな理屈は通用するのか。東電の津波予測の担当者も同じ考えだったようで「津波対策は不可避」(東電が株主代表訴訟に提出した文書から)と書いた社内文書も残っている。

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