ワインバレー構想に基づき、昨年にはワイン生産アカデミーと共同醸造所が設立され、今秋、ワイナリーをめぐる循環バスも運行開始した。後継者不足から耕作放棄された田畑が増えている中、農業を志す人が少しでも増え、美しいブドウ畑の風景が広がっていけば、と玉村さんは考えている。

「5年以内で東御市は、あと3~4軒はワイナリーが増える。名実ともにワインシティーになりますよ」

●第二の人生にワイン

 東御市でメルローやシャルドネなどの品種を栽培し、ワイナリーの設立を目指す飯島規之さん(50)は、元日本代表の競輪選手だ。2.2ヘクタールのブドウ畑は、フランス語で「自転車」を意味する「シクロ」を冠して「シクロヴィンヤード」と名付けた。

 現役の選手を引退し、第二の人生を考えたとき、海外遠征で飲んだワインを思い出した。

「ワインは人をつなぐ。人を幸せにする酒だと思います」(飯島さん)

 埼玉県から4年前に移住、長野県の農業大学校を経て、東御市でワインづくりの研修をした。役所に行くと巨峰づくりを勧められたが、一貫してワインづくりにこだわった。

「つくったブドウを、ワインという形で完結させたかった」

 今年春、近くのワイナリーに醸造を委託して、初めてのワインをリリースした。移住を支えてくれた多くの人たちに、自分のワインをふるまえたのが何よりうれしかったという。

「畑がある八重原地区のあたりは粘土質で、味が濃く、きめの細かいジャガイモ、“白土馬鈴薯(ばれいしょ)”の名産地。同じように、八重原ならではの、土地を表すような個性的なワインができれば。それがこの土地と、お世話になった人たちへの恩返しになるんじゃないかと思うんです」

 千曲川流域では、10月3日、もうひとつ、注目すべき動きがあった。長野県北部の高山村で、ワイン用ブドウの生産者たち自らが中心となって「信州たかやまワイナリー」をオープンさせたことだ。

●人びとの意志の力

 高山村は、96年から、大手ワインメーカーの契約畑として質の良いシャルドネを生産してきたが、今後は「村のワイン」として売り出せるようになる。

 醸造責任者を務める鷹野永一さん(49)は、山梨県の出身。大手ワインメーカーで長年にわたり醸造や商品開発を担当、高山村のブドウ畑を見てきた人だ。「若い世代が、生き生きとした村を目指してワインづくりに取り組んでいるのを支えたい」と移り住んだ。

 鷹野さんは、高山村を「ワイン産地」として育てたいという。

「いいワインは、いい産地になったときにはじめて世界から認知され、存在意義が生まれる。いい産地になるには、生産者だけでなく、消費者も育っていかなくてはいけない。地域の人たちといっしょに、地域の中で愛されるワインをつくっていきたい」

 鷹野さんのワインづくりの師は、02年に亡くなった日本を代表する醸造家であり、著述家でもあった麻井宇介氏。鷹野さんは師の「ワインは人がつくるもの」という言葉を大切にする。

 なぜ長野がワイン産地として注目されているのだろうか。

「気候条件がワイン用ブドウの生育に向いていたのは、理由の一つではありますが、人の意志がないとブドウは育たなかった。人びとの意志の力、長野にはそれがあったということ」 

 そう鷹野さんは強調した。

●出発点という名のバー

 今年7月、東京からアクセスしやすい千曲川ワインバレーの入り口であるJR軽井沢駅に、長野ワイン専門店「オーデパール」がオープンした。長野市から、この店に来るのを楽しみにやってきたという落合滝由さん(49)は、

「昔は長野のワインというと、観光地においてあるような甘いのばっかりだったんですが、ずいぶん飲みやすくなりました」

 とメルローの赤ワインと自家製ソーセージに舌鼓を打つ。

 シェフの胡(えびす)雄一郎さん(49)は、長野県白馬村の出身で、東京やニューヨークの一流店で腕を磨き、かつて「料理の鉄人」などのテレビ番組でも活躍してきた料理人だ。

「僕の中の長野県人のイメージは、“保守的”だったけど、今の長野は全然違う。長野のワイナリーは実にグローバル化しているし、農家は西洋野菜の栽培にも果敢に挑んでいる」

 長いこと長野を離れていたからこそ、そのワインと食材の可能性に、「ハッとさせられる」日が続いている。

「駅は出発点。気軽に立ち寄ってもらって、ワイナリーや生産者たちとの橋渡しをしていければ」と熱意を語る。

 長野にやってくる人、戻ってくる人。土地を愛し、守ろうとする人たちの試みが、ワインを通してつながっていく。

 現在、日本の各地のワイン生産現場で活躍する、「ウスケボーイズ」とも呼ばれる多くの弟子たちを育てた麻井氏は、かつて、ワインを「文明の酒」と呼んだ。

「ワインづくりにおいて、『恵まれた風土』とは、(略)神から与えられたのではなく、人間の手がつくり出したものであることを忘れてはならない」(『ワインづくりの思想』、中公新書)

 長野はまさに今、「恵まれた風土」として醸成され始めている。(ライター・岡本なるみ)

AERA 2016年11月28日号