「アメリカでウケたと言われたものをそのまま取り入れたんです。でもアメリカ人と日本人の“怖い”は全然違う。当時の僕は、ゲストのことも自分がやりたいことも見失っていました」

 称賛にわく社内で唯一、津野さんにダメ出しをしたのは、やはり上司の森岡さんだった。

「怖くなかったですね、と。もし誰かに遠慮したのであれば、責任は自分が取るので、もっと怖いものをつくってハロウィーンでリベンジしましょうと言ってくれたんです」(津野さん)

●最終判断は自分でする

 吹っ切れた津野さんは、ハロウィーン・ホラー・ナイトのスタッフ約30人を前に宣言した。

「俺が面白いと思うものを作る」

 題材に選んだのは「13日の金曜日」。「他人の意見は聞くが、最終判断は自分で」と決意して臨んだ。アメリカ人スタッフからは、ジェイソンがおのを持って追いかけてくるという分かりやすいプランしか出てこない。日本人の恐怖は「何が起きるの?」と想像する静寂や空白にあると考えた津野さんは、じわじわ忍び寄る恐怖を理解してもらうため、アメリカ人の演出家たちを連れて日本中のお化け屋敷を回った。

 自分の仕事は、会社の方針と自分も含めたスタッフの意見の中から「どれが一番、ゲストの思いに近いか」を見極めて、かじ取りをすること。だから、納得がいかない台本が上がってくるたびに議論しては、別のお化け屋敷に足を運んだ。そして迎えたショー初日。腰を抜かす日本人や恐怖のあまり泣きだすアメリカ人が続出した。

 ジェイソンは、しんとした館から急に飛び出したかと思うとまた隠れ、おとりに気をとられていると別の所から現れる。緊迫感にこだわった演出だった。

「予算が足りないとき、妥協して70%でつくるのが最もダメ。僕は100%のクオリティーでいくか、全く別のものに作り替えるかのどちらかにします」

 土壇場でひっくり返すことになっても、そこは譲らない。だからこそ、絶対にどこのショーにも負けない自信がある。

「ハロウィーンといえばUSJと言われるまで、成長させます」

(編集部・竹下郁子)

AERA 2016年10月10日号