どうでしょう。むしろ、僕の個人的な考えだったような気がします。僕も最初は書いたものを直されると、普通に傷つきました。まるで人格まで否定されたみたいな気分になって(笑)。ただ、それ自体が“エゴ”の問題で、それさえ意識できれば、それまで気づかなかったことに気づけて、歌詞がもっと良くなるということに途中で目覚めるわけです。これは、推敲と同じことなんだと。直すのは、結局自分なのですから。

●メッセージ性で悩む

──売野さんの歌詞は、メッセージを前面に打ち出した70年代のフォークミュージックの歌詞と対極にあったように思いますが、それも意図的だったのでしょうか?

 ボブ・ディランから音楽に目覚めた割に、エンターテインメント寄りなんですね。「夏のクラクション」を書いたとき、突如現れた部長みたいな人に言われたのね。この歌詞にはメッセージ性がない!なんて。その人は、もともとフォークミュージシャンとして活動していた人なんですけど、「夏のクラクション」でメッセージ性って言われてもなあって、僕は本当に悩んでしまって(笑)。で、初稿にあったフレーズを変えてしまうんです。「夢をつかまえて」と。

 海沿いのカーブを 二つの夏過ぎて
 今年もひとりきりさ
「夢をつかまえて」と泣いたままの君が
 波間で手を振る
  
 稲垣潤一「夏のクラクション」
 作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平

──ちなみに、売野さんの出世作である「少女A」は、何をイメージして書かれたのですか?

 あれは最初に歌詞を書いて、その後に曲をつける“詞先”の曲だったんですけど、普通のことを書かないでほしいって言われたんですよね。僕はそれまでアイドルの歌を書いたことがなかったんだけど、他のアイドルの歌を参考にするのではなく、自分がいいと思ったことを書いてほしいと。だから、「少女A」は、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のイメージというか、それを逆の立場から描いたものにしようと思って(笑)。ただ、こうして振り返ってみると、詞先で書いた曲のほうが、長生きしているような印象がありますね。

 上目使いに 盗んで見ている
 蒼いあなたの 視線がまぶしいわ
 思わせぶりに 口びるぬらし
 きっかけぐらいは
 こっちでつくってあげる
 
 中森明菜「少女A」
 作詞:売野雅勇 作曲:芹澤廣明

●“億千万”の衝撃

──詞先の場合、最終的にまったく予想のつかない曲に仕上がることもあるのでは?

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