日本書紀には601年、「新羅からやってきた間諜を対馬で捕らえた」という記述が出てくる。同様に、日本でもこうしたスパイ活動にあたる人間がいたと考えられている。

 奈良時代に入り、土地の私有が認められるようになると、土地を巡る争いが各地で起きるようになり、「悪党」と呼ばれる武士集団や山伏(修験者)たちが誕生した。とりわけ山で厳しい修行をしていた山伏は、過酷な状況で生き延びる知恵があり、薬草に詳しいなど、忍者の源流になっていったとみられている。

 これらの知恵や術は、地域ごとの自然環境などに合わせる必要があったため、全国にそれぞれの忍者が生まれた。有名なのは「甲賀」「伊賀」といったエリート忍者集団だが、そのほかにも各地に忍者集団が存在していた。

 忍者に欠かせないのが九字護身法など、密教の流れをくむ「印」の存在だ。両手を使って印を結びながら、密教の真言を唱えることで、精神をコントロールしたのだという。三重大学大学院教授の小森照久さんが、九字護身法の印を結んだときの脳波と自律神経機能について実験したところ、印を結んで10分程度は、集中力が向上すると同時に、体の力みがとれて落ち着いた状態になるとの結果が出た。つまり、「リラックスしながら集中する」という状態になったのだ。

 こう書くと、「忍者ポーズ」とも呼ばれた、ラグビー日本代表、五郎丸歩選手の「ルーティン(決められた手順、一連の動き)」を思い出す人もいるだろう。忍者たちにとって九字護身法などは、自分の厳しい修行を自信につなげるための、まさにルーティンだったのかもしれない。

●特徴がないのが特徴

 ここまで、忍術が人間の内面に与える影響をみてきた。それも大切だが、やはり忍者といえば、足音を消して移動したり、水の上を駆け抜けたりといった「超人的」な身体能力だろう。忍者に関するシンポジウムを開催してきた札幌大学教授の瀧元誠樹さんに、忍者の身体技法について聞いてみた。

 現代のトレーニングは、強さや速さといった身体能力を向上させることを重視する。一方、忍者に求められる身体能力は、無駄な動きを最大限省いて運動効率を上げることだ。つまり、力を抜き、緩めながら均衡をとる。これは、パワーアップを求めるよりも、教えるのが難しいという。

「体に力を入れるのは実感しやすいですが、脱力して技を繰り出すのは難しいのかもしれません。忍者は未知の領域でも臨機応変に働くのですから、ニュートラルな身体だったのでしょう」(瀧元さん)

 瀧元さんは、未知のコミュニティーに潜入するという忍者の任務からも、筋骨隆々など特徴のある体はマイナスだったのでは、とみている。

「長期間の潜伏ならその土地の民になり、一時的な潜入なら旅芸人や薬売りなどの移動する民に扮します。任務に応じて何にでもなれるのが、忍者なのでしょう」(同)

 過酷な状況で、心身を鍛えながらも目立つことなく存在していた忍者たち。そのスピリットを活用し、何かと厳しさを増す現代社会を生き残るよすがにしてほしい。(ライター・矢内裕子)

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