虐待を受けた子どもの心の問題に詳しい山梨県立大学の西澤哲教授は、今回の騒動を授業で取り上げた。学生の一人は、自分も親に置き去りにされた経験があると話したという。西澤さんが当時の記憶を尋ねると、「怖い以外ない」という答え。一方で、なぜ置き去りにされたかは「覚えていない」とのことだった。

 躾か虐待か。その境はどこにあるのか。西澤さんによれば、躾とは「怒りや悲しみなど、本人に関わるいろんな状況を、自分の力で整えることができるように、親が力を貸すこと」だ。

「この学生のケースでは、親にとっては躾だったとしても子どもの心には恐怖しか残らなかった。置き去りという『躾』によって子どもの行動が変わらず、子ども自身のセルフコントロールに役立っていないのであれば、躾ではない」

 今回の北海道のケースについてはこう解説する。

「大和くんが父親の言うことを聞かないことによって父親のプライドが傷つき、そのプライドを取り戻すために置き去りにしたとすれば『虐待』だが、大和くんをコントロールしようとして置き去りにしたのなら、それは本来の躾ではなく、不適切な養育行為だと言える」

 今回の事件が、多くの親にとって、躾の境界線を見直すきっかけになったことは確かだ。(編集部・石臥薫子、宮下直之、山口亜祐子)

AERA 2016年6月13日号