2012年のクリスマスに撮影を打診してから映画が生み落とされるまで約2年半。取材中、内藤がカメラの前に立てなくなり一時撮影は中断。内藤の制作はこの世に「ない」存在を「生み出す」行為であり、カメラが介入することはその奇跡的な瞬間を壊すことになりかねなかった。

 内藤を撮らずに映画を作れるのか。中村は悩んだ末、内藤ではない別の女性たちを映すことで、自身が≪母型≫から受けったものを表現することに決める。完成した映画は、ドキュメンタリーともフィクションともつかない、中村自身が生み出した「作品」になった。

≪母型≫を撮りたいと思った背景には、近年感じていた「感覚の危機」があったという。

「SNSにも世界にも、見るに堪えない暴力が溢れているのに、感覚が麻痺してビビッドに感じられなくなっている。内藤さんは必死に感覚を守っていて、≪母型≫に出会ったとき、自分が長い間失っていた感覚を取り戻した気がしました」(中村)

AERA  2015年9月21日号より抜粋