フィギュアスケートで日本のエースとして活躍した伊藤みどりさんは、羽生結弦(はにゅうゆづる)選手の衝突事故を受け、次のように話す。

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 フィギュアスケートは、その見た目の美しさとは裏腹に、危険なけがの可能性をはらむ競技です。1991年にミュンヘンで行われた世界選手権では、私自身も衝突事故を経験しました。ショートプログラムの前の6分間練習中にフランスの選手と接触。左脇腹を強打したうえ、相手のエッジが私の左足の靴に突き刺さり、その勢いでフェンスに激突しました。お腹を打ったことで呼吸ができなくなり、しばらくは立ち上がれなかった。今回の羽生選手と同じです。

 フェンスにつかまって立ち上がると、脇腹と左足に激痛が走りました。でも、試合に向けた緊張状態で集中もしていますから、けがの程度や痛みの具合を判断することができません。「靴を脱いでしまったら痛みが増して、再び履くことはできなくなる」と思ったので、治療を受けずにそのまま出場することを選びました。

 羽生選手もそうだったと思いますが、事故の直後は興奮状態に陥りますから、自分の足で立つことができる限り、棄権しようとは思わないでしょう。私も棄権は全く考えませんでした。もちろん結果は、演技中にリンクの外に飛び出してしまうなど、不本意なものでした。

 日本チームは当時も医師を同行させていなかったので、海外チームの医師や大会の医師が私の傷の応急処置をしてくださいました。現地の救急病院で診察を受けると骨折はなく大事に至りませんでしたが、けがの程度も分からずに出場したのですから、いま思うと恐ろしいことです。

 当時も、けがした選手を強制的に棄権させたり、演技時間、演技順を遅らせたりするルールはありませんでしたが、驚くべきは、23年たったいまも、その状況に変わりがないことです。

AERA 2014年11月24日号より抜粋