スタジオジブリの鈴木敏夫氏と、AKB48のプロデューサーの秋元康氏が対談。鈴木氏が「天空の城ラピュタ」にまつわる秘話も明かした。
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鈴木:「天空の城ラピュタ」は、理由があってやらなければいけなくなった。「ナウシカ」の後、実は宮崎さんがもう二度と映画を作りたくない、つらいと言い出した。何がつらいかというと、仲間に言いたくないことを言わないといけない。作品が完成した一方、友人を失ったわけです。
ところが「ナウシカ」の契約をするときに、監督の地位があまりに低いから、契約でいい条件にしておいたんですよ。それで宮崎さんに大変なお金が転がり込んじゃって。「鈴木さん、どうしよう」と相談された。家も建て替えたいし、俺は車が好きだから車も買いたい。でもそんなことをしたら後ろ指さされる、何かいい案はないかと。
ちょうど、高畑さんが九州の柳川を舞台に「柳川堀割物語」という地味なドキュメンタリーを作りたがっていた。それで、じゃあその映画に出資したらどうか、1千万~2千万円あれば何とかなる、と言ったんです。そうしたら宮崎さんが飛びついて、宮崎駿の会社である二馬力の制作で、高畑さん監督で作ったんです。しかし映画の半分もできないうちに手にした6千万円を使い切っちゃった(笑)。
秋元:すごい話ですね。
鈴木:宮崎駿はそういうときにとても人間的な人で「どうしよう」と、ほとんど泣きべそをかきましてね。家を抵当に入れるか?やだ、と真剣に考えた。その時、僕が言っちゃったんですけどね…もう1本やりますかと(笑)。そういう時の宮崎さんは実に即断即決の人で、その場で「ラピュタ」の企画を5分で話した。あまりに手際がいいので、「宮さん、それ考えてたんですか?」と聞いたら、小学校のときに考えたと。それでいよいよ「ラピュタ」にもとりかからなければいけなくなる。
大きなビジョンがあったわけではなく、いきあたりばったりなんです。「柳川」を高畑さんが期間中に予算通りに作っていたら、「ラピュタ」はなかった。
※AERA 2014年10月13日号より抜粋