2008年公開の「007/慰めの報酬」でボンドガールに抜擢され、世界的に知名度が高まったオルガ・キュリレンコ。今後もハリウッドの大作への出演が予定されている。順調にキャリアを積んでいるように見えるが、その道のりは平坦なものではなかった。

お金がなくて、母と私はいつもおなかをすかせていました」

 過去を、率直にふり返る。旧ソ連のウクライナ出身。幼いころに父親が家を去り、母子家庭に育った。そんな環境で、女優業への情熱を培っていった。10歳のころ、学校で演劇を経験したのがきっかけだったという。

 だが、ウクライナの一港湾都市の貧しい母子家庭から、女優への飛躍は容易ではない。転機は、10代の半ばに訪れた。母親と一緒にモスクワに出かけ、モデルとしてスカウトされたのだ。母親の後押しもあって、16歳でフランスに渡ると、数々のファッション誌で表紙を飾るトップモデルになっていく。

「でも、モデルをやっていても、人生に何かが足りないと感じていました。気付いたら、お芝居の深さがすごく恋しくなっていました」

 モデル業のかたわら演技のレッスンを受け、いくつかのオーディションに挑戦。そして05年、仏映画「薬指の標本」でついに女優デビューを果たすのだ。

 そんな彼女が、出演を強く望んだ作品がある。故郷ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故をテーマにした映画「故郷よ」だ。

「たくさんの人が亡くなり、私たちの国だけでなく周辺国にまで大きな被害をもたらした世界的な悲劇なのに、映画で語られることがほとんどなかった。私自身が語るため、絶対にこの作品にかかわりたいと思いました」

 作品にかける思いは人一倍強かった。制作段階で資金難に直面した際には、「何があっても撮らないといけない映画だ」と主張し、自らが出資者集めに奔走。ボンドガールを務めた知名度も生き、総制作費の半分を工面することに成功した。彼女が作品の共同制作者としても名を連ねているのは、そのためだ。

AERA 2013年6月3日号