123万石から4万石の小大名に没落してしまう途中で、丹羽家からは多くの家臣たちが去っていった。そんな中、江口正吉は長秀の跡を継いだ丹羽長重に付き従い続け、家臣たちの抜けた穴を埋め八面六臂の働きをしこれを支える。やがて小田原征伐などの功により丹羽家が12万5千石に加増されると、正吉は家老として1万石を領した。



■北陸の関ヶ原「浅井畷の戦い」での活躍

羽柴秀吉VS柴田勝家の「賤ヶ岳の戦い」や、秀吉が北条氏を攻めた「小田原征伐」などで江口正吉は活躍。



北陸の関ヶ原として知られる「浅井畷の戦い」では、石田三成の西軍に付き丹羽家の大将として、東軍の前田家と戦う。この戦いで丹羽軍は3千程度の兵士、対して前田軍は2万5千。兵力で圧倒的不利な状況であるが、自ら指揮する奇襲部隊により前田軍に大損害を与えて戦果を上げている。



■逸話

ある時、伊達政宗が丹羽家の城である白河城の近くを通った時に「わしならこの程度の城、朝飯前には踏み潰してみせよう」と豪語する。付き従っている重臣の片倉小十郎は、「侮ってはなりません。この城には江口三郎右衛門という老巧の武者がおりますので、昼飯までかかりましょう」と、諌めたという。



そんな江口正吉を題材とした歴史小説「うつろ屋軍師」(学研パブリッシング)が、7月29日に登場した。歴史群像大賞入賞作品で、作者は同作がデビュー作の簑輪諒さん。



普通では考えつかない、常識はずれのような策を提案することから、周りからは「空論(うつろ)屋」と呼ばれる江口正吉の活躍を描いた内容。丹羽家の123万石からの大没落、そしてそこからの大復活劇など、他の戦国大名や軍師には無い波瀾万丈なエンタメストーリーとなっている。これをきかっけに、江口正吉という隠れた名軍師の物語に触れてみてはいかがだろうか。