素晴らしい演説は、人々を惹きつけるものです。米オバマ大統領、アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏、ソフトバンク代表の孫正義氏、2020年にオリンピックを東京へ承知することに成功したオリンピック招致委員会等、彼らの演説やプレゼンは多くの人を感動させる「力」がありました。



 人を納得させたり、人の心を動かす優れた話術を持つ人物が"善人"ばかりかというと、そうとは言えません(もちろん冒頭に挙げた人は、素晴らしい方々ですが)。



 たとえばナチスの総統であったヒトラー。



 彼は権力を掌握するにあたり、類い稀なる話術を駆使したことで知られています。なぜ、彼の演説に民衆は熱狂したのでしょうか。学習院大学文学部教授の高田博行氏の著書『ヒトラー演説 熱狂の真実』は、ヒトラーの演説について徹底的に解剖し、扇動政治家の実像をあらわにしています。



 ヒトラーの演説といえば、大きな声とジェスチャーで、聴衆を扇動するスタイルを思い浮かべる人も多いと思います。しかし、このスタイルは元々、彼が持っていたものではなく、試行錯誤の上、生まれたものだというのです。



 ヒトラーは1932年2月から11月にかけて実に5回もの選挙戦を戦うことになります。当時、すでに肉声で多くの遊説を行っていたヒトラーの声帯は、担当医が声帯麻痺を恐れるほど酷使されておりました。そこで医師が、ヒトラーに発声法の訓練を受けるよう勧め、オペラ歌手であったデヴリエントがヒトラーの特訓を受け持つことに。もちろん「演説の天才」が訓練を受けていることがバレてはいけないので、デヴリエントの個人レッスンは秘密裏に行われました。



 デヴリエントは、まず発声方法の抜本的修正から取り掛かりました。人間の発声器官を吹奏楽器に喩えながら、力を振り絞らずに行うのが正しい発声であることを教え、結果、一回目の訓練でヒトラーの発声法は改善され、声量も増したそうです。



 続いて、デヴリエントはヒトラーに「『感情語』をその感情内容にふさわしい響きと色合いで発音することが重要」(本書より)であることを教え、声の高さや目線の場所も修正するよう指示、さらに「むやみに手を振り回したり、揺すったり、指さししたり、降ったりするのはもうやめるべきで、ジェスチャーは意味を明確にするものでないといけない」(本書より)と、かなり多様なアドバイスをしました。



 こうしてヒトラーの演説は、"個人レッスン"を経て、様々な点が改善されていき、人々を熱狂させるあのスタイルが完成したのです。その過程で、ヒトラーはデヴリエントに心を許し、同じ演説を繰り返すことの単調さについて、こんなボヤキを漏らしていたとか。



「この永遠の繰り返しは、プロパガンダにとって必要なのだが、私の気持ちがかき立てられることはない。演壇に登る際に、燃える気持ちが失せているときがある。なのに聴衆から拍手喝采を受けてしまい、私は本当に驚いてしまう」(本書より)

 

 本書ではこの他にもヒトラーの演説についての知られざる真実が多数、掲載されています。



 良くも悪くも彼の演説が人々を魅了したのは事実。その扇動的な演説がどのようにして生まれて、また何がそこまで人々を惹きつけたのか。気になる方はお手にとってみてはいかがでしょうか。