東尾修
東尾修

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修さん、過渡期を迎えたチームの「世代交代」問題について語る。

【写真】巨人の原辰徳監督はこちら

*  *  *

 チームスポーツの世界でどう「世代交代」を行っていくか。その選手の存在が大きければ大きいほど、次世代の選手へどう切り替えるかの見極めは難しくなる。

 例えば、巨人坂本勇人はいま、日替わりでスタメンで行くかどうかとなっている。中途半端に見えるかもしれないが、これはチーム内部の人間にしかわからないことだ。腰やどこかが日によってコンディションが違うのであれば、日替わりで状態を見て使うべきだし、コンディション上の問題でないのであれば、中途半端なことはしなければいい。その見極めは原辰徳監督、首脳陣、そして本人にしかできない。

 私も西武監督就任1年目の1995年、2年目の96年に清原和博がいた。何とか一番いい時の形に戻そうと、清原の入団時から指導していた土井正博さんに打撃コーチに復帰してもらい、期待したが、思った成績は残せなかった。FAで巨人移籍が決まったことは残念だったが、清原を失った就任3年目の97年、若手を思い切って起用できる状態になったのは不幸中の幸いだった。どこで主力に見切りをつけるのか、それとも使い続けるのか。それはチームを預かる監督にとって一番難しい作業になる。

 チームの中心選手が衰えた時、自然とチーム力は落ちる。中心の人物は「大黒柱」でないとチームは安定しない。しかも今の野球界は著しく進化している。全盛期に155キロを打てなかった選手が、衰えてから打てるだろうか。パワー全盛の時代、ベテラン選手は生きにくくなっている。再びパワーをつけて対抗しようとするよりも、安定性、技術力をどう生かすかを考えたほうが、長い選手生活を送れる。ただ、パワーを売りにしていた選手が簡単に自分の「売り」を捨てられるかどうか。豪速球投手が、変化球投手にあっさりと変身できるか。それができるのは限られた者である。

著者プロフィールを見る
東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

東尾修の記事一覧はこちら
次のページ