はっきりとした物言いだが、両親のこれからのことも考えて、西崎さんは両親が元気なころからそう伝えてきた。以前から帰省したときなどに、父親が「いずれ岡山に戻ってきたら、この家があるからな」などと言うことがあり、それがどこか「帰ってきてほしい」という期待や願望のように聞こえることがあった。

 しかし「いつか」と期待されても、現実には自分の生活は他県にあり、この先地元には戻らないことがわかっている。黙っていたほうが酷だと考えた西崎さんは、かねて「岡山には戻らないと思う」と両親に伝えていたのだった。

「その流れで、両親が家に住まなくなったら実家を手放したいと思っていることや、お墓についても『私たちの代で終わりにしたい』と、親が元気なうちから直接話すようにしていました。手放したいと思った理由は、家やお墓の存在を、自分たちの子ども世代の負担にさせたくないと思ったから。現に今、私の子は海外に住んでいますし、これからの世代には自由に生きてもらいたい。だから、始末をつけるなら自分の代でと考えていました」(西崎さん)

 両親が元気なうちから実家や墓じまいについて話し合い、親からの了承も得ていた西崎さん。今後実家に誰も住まないことがわかったときから、たびたび帰省しては、荷物を処分するなど、実家じまいの準備を始めた。父親が入院後、母親は高齢者施設に入居。実家が空き家状態になって、気づけば2年ほどが経過していた。

「その2年の間は、姉と一緒にゴミの日の前日などに帰省して、この先、使わないであろう物からどんどん処分しました。物がたくさんあることが豊かという時代を生きた両親の家なので、物量が膨大でした。実家には人形などもたくさんあったのですが、父の意向で施設に寄付するなどの手配も、この時期に行いました」(同)

■取っておくのが大事ではない

 空き家状態が長く続くと、近所に迷惑をかけることにもなりかねない。実家を売却するための準備をしながら、「本当に私が終わらせてしまって良いのだろうか」という気持ちに苛まれるときもあった。

次のページ