文芸評論家・長山靖生さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『時ありて』(イアン・マクドナルド著 下楠昌哉訳、早川書房 2200円・税込み)。

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 本で大切なのは内容だ。それは間違いない。だからネット時代の今、電子書籍で読むのは間違いではない。場所も取らないし、黄ばんだり汚れたりもしない。

 だが古びることが、オブジェとしての本の魅力だと感じる人たちもいる。黄ばんでいく紙や折られたページには、本の歴史、読み手の歴史が刻まれているのだ。

 よく古本を買う人なら経験があるだろうが、古本には何かが挟み込まれていることがけっこうある。栞代わりであろうメモ用紙や映画の半券、そして手紙。まるで時を隔てて、見知らぬ人の人生を垣間見た思いがしてドキドキする。

『時ありて』の語り手は、英国のネット販売中心の古本業者だが、ある時、馴染みの古書店の廃業で処分されかけた古本の山から、一冊の詩集を見つける。特に目立つところのない、著者や刊行年も不明の詩集だったが、その中には一枚の手紙が挟まっていた。その手紙は第2次世界大戦中に英国陸軍のモンゴメリー将軍の部隊に所属していた兵隊であるトム・チャペルとベン・セリグマンの間に交わされた一種の恋文だった。

 語り手は、多くの古本業者がそうであるように自身も本のマニアで、探求好きだ。手紙の送り手と貰い手に関心を抱いた彼は、古本探しで鍛えた知識と嗅覚を使い、まずはネットの海から有益な情報を漁り、戦時下の同性愛カップルの足跡をたどっていく。そしてふたりが所属していた部隊と時期を正確に割り出し、出身地を探り、ひとりは詩人、もうひとりは物理学者だと突き止める。

 だが探索を進めるうちに、彼は常識では考えられない資料に、次々と接することになる。トムとベンは第2次大戦下のエジプトにいただけでなく、第1次大戦の際も戦場にいたのであり、それどころか1995年の紛争地域にもいたらしいのだ。それもほとんど変わらない姿のままで……。

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