芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、流行について。

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 いつも頭を悩ますのは、このページで何を書いていいやら、さっぱりテーマが浮かばないことです。この年になると好奇心も失せてしまいます。そんな時、担編さん(これは僕の造語で担当編集者のことです)の鮎川さんに「何かない?」と聞くと、すばやく、「流行については? また友達については?」とさすが編集者は間髪を入れずにテーマがはね返ってきます。「じゃ、流行について何か考えてみますね」と言ったものの僕は社会学者でも文化人類学者でもない、一介の画家です。そうなんでも書けるものではありません。まあ禅の公案を与えてもらったと思いましょう。だけど公案は答えがあってないようなもんです。ある意味ではいい加減なもんです。

 画家に転向する前はグラフィックデザイナーで、どちらかというと流行を作る側の人間だったんですが、僕はいつも流行に逆らうようなデザインばかりしていました。流行を啓蒙したり促進する協会のようなものがあって、「今年の流行色」などを提唱したりしていました。新しいファッションや自動車の新車が発表されると、秘密裏に制作されたにもかかわらずどういうわけかフタを開けると何となく似たような商品などが出揃います。まさかFBIやCIAが関与したとも思えないのに、まるで各メーカーが相談して作ったようなものが市場に出ます。

 こんな時、僕はフト、集合無意識ということを考えます。一種のシンクロニシティーによって、地球の表で発想したものが瞬時に地球の裏側に集合無意識となって伝達して、同時に同じものや、よく似たものができてしまうということです。これは一体何を意味しているのでしょうか。

 物を作るということは強烈な想念エネルギーの集中によってできると思うのです。地球の表のどこかの誰かがあることを考えたとします。考えは想念エネルギーとなって、まるで電波のように、アッという間に地球の裏側にも届きます。まあ一種のテレパシーのようなものです。そのテレパシーが無心になってアンテナを立てている人のところに接触すると、その人はその想念エネルギーを受信したことになるのです。自分のオリジナルだと思ってデザインしたものが、空間を超えてどこかの海外の同業者の手にわたって、その人はその人で直感が閃いたと思って、そのインスピレーションを実現させてしまいます。こんなことが世界中の空間を電波のように飛びかっているのではないでしょうか。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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