イギル・ボラ監督
イギル・ボラ監督

ボラ 法廷で、ある事実について話す時は「その時撮った写真を持ってきたか」とか、常に証拠を持ってくるように言われますよね。しかし、そのような法廷で使われる言語、認められる事実とは別に、証拠を示せなくとも事実であるということはたくさん世の中に存在するじゃないですか。

ベトナム戦争であった数多くの虐殺には証拠がありません。なぜなら、写真など撮れない状態であったり、軍が隠滅し、人も殺されてしまったりした。様々な理由で証拠を示せないけれども、事実は存在しますね。それを、私たちが全て「事実ではない」と言い切っていいのかということに疑問を呈するべきです。それができる分野が芸術だと思っていますし、私がこうしたテーマで映画を作り続けている理由です。

ところで斉加さんの「教育と愛国」に登場するのはほとんどが男性ですね(笑)

斉加 自分でも編集しながら驚きましたが、教科書検定意見を最終決定する検定調査審議会の委員も男性ばかりで、日本の決定の場っていうのはほぼ男ばかりなんだと気づきました。一方どれだけバッシングが来たとしても、歴史の客観的事実として、軍が関与した慰安婦は存在したと教え続ける先生は圧倒的に女性が多いんです。

教育と政治は一線を画すというのは、戦後の日本の教育基本法にしっかり盛り込まれた理念だったんですが、それが2006年の教育基本法の改定以降どんどん曖昧(あいまい)にさせられていきました。日本は愛国的な政策をもっと推進していかなきゃいけないという言説が広く支持されていくんです。でも、これは映画の中で触れてるんですが、実は日本人は日本経済の沈滞と同時に自信を失っていくにつれて「日本素晴らしい幻想」にしがみつくようになってしまったのではないかと。

ボラ 「愛国」とは何かという問いを立てなければと思います。私は韓国社会には問題がとても多いと思っていて、それで映画でも問題を提起しているのですが、同時に私はまた韓国をとても愛する韓国人でもあります。

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惜しみないケアを与えるのが愛