横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、お笑いについて。

*  *  *

 関西のお笑いはよく見るか? が今週の担編さんからのリクエストです。

 そうね、藤山寛美ややすきよ(横山やすし・西川きよし)、桂枝雀(二代目)がいた昔は見ていたけれど、今はあんまり見ないですね。関西からお笑い芸人がよく出るのは、僕も関西人だからわかるんですが、関西人はサービス精神が旺盛な人種で、人を笑わせる不思議な能力があるんですよね。関西は元々ラテン系の生れ変りが集まった土地で、表裏のない性格で思ったこと、考えたこと、直感したことを瞬時に言葉や行動に移す、あと先考えない「行ってまえ!」みたいな衝動のエネルギーがあるように思いますね。

 関西のお笑い芸人は才能や努力の結果、芸人になったというより、普段の生活や人間関係が、関西の風土によって、そのような人格を形成したわけで、僕だって画家にならなきゃ、お笑い芸人になったかも知れませんよ。そんな資質を絵でやっているだけで、僕の遺伝子にはタップリお笑いの種子が阿頼耶識(あらやしき)の庫に埋蔵されているかも知れませんよ。ワッハッハッハ。

 関西人のお笑い的人格はそのまま生き方でもあると思いますけどなあ。決して自分をよく見せようとしないで、アホを演じることで、相手を立てるという不思議な礼節があるんですよね。嫌われたくないという八方美人的なテクニックかも知らんけど、それと角(かど)のたつような、物事をはっきりいわない、西洋人から批判の対象になる曖昧な態度こそ美徳としているとこがあるんちゃいますか。

 僕が初めて上京して、大阪から東京に移った有名な先輩のデザイナーを訪ねた時の話をしましょう。「ヨコオ君、お茶でも飲みに行こうか」、「ところで何にする?」。こういう質問は僕にとって一番ニガ手である。「何でもエエです」。この先輩は怒りましたね。「東京では白黒ハッキリしないと、そんな優柔不断な考え方じゃ生きて行けないぞ」。物事の白黒をつけるのが僕の一番ニガ手だ。本当に何でもええのや。考えることが面倒臭い。相手が決めてくれるのが一番楽でいい。仏教に中庸という考えがある。どっちだっていい、穏当な生き方だ。そんな生き方をこの場で持ち出すこと自体おかしなことかも知れないけれど、コーヒーだってアイスクリームだって、ええ、相手に従いますやん、という精神が僕の中にはかなり深く根づいている。

著者プロフィールを見る
横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

横尾忠則の記事一覧はこちら
次のページ