創刊100周年を迎えた週刊朝日。かつての連載陣に「週刊朝日と私とその時代」をテーマに語っていただきました。今回は旅行作家の下川裕治さんです。◆「12万円で世界を歩く」(1988年7月~89年2月)

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「12万円で世界を歩く」で人生が大きく変わりました。貧乏だったので、これで収入ができて生きていけると思いましたね。

 企画の話があったのは、タイ語を勉強するために1年くらいタイに住んでいて、お金がなくなって帰国していたときだったんです。そこで、週刊朝日編集部から「お金ないんだろ、仕事しないか」と持ちかけられたのが「12万円で世界を歩く」です。

 この企画はグラビアページで写真がメインになるので、ライターとしてのギャランティーは5万円でした。2週間ほど海外に出て、1週間で原稿を書き、次の1週間が次の旅の準備。そうするとこの仕事しかできない。だから物価の安い国を旅しているときのほうが生活は楽だったんですよ。

 時はバブルの時代で、海外旅行というのは贅沢な旅が真っ盛り。こんなバカバカしい旅もあるのかとか、若い人にはこうすればお金をかけずに海外旅行ができるのかとか、見本を示したことで大きな反響がありました。単行本にもなり、下川裕治は世界を旅する冒険旅行作家のイメージを持たれるようになりました。

 実は12万円の前に「デキゴトロジー」の仕事をしていました。編集部に自分の机もあり、ほぼ毎日編集部に行っていました。

 夏休みに僕がビルマ(現在のミャンマー)に行くというとき、デスクの人もその方面に行くというので一緒に行きました。現地の空港で僕は当然のようにいろんな人に声をかけ、ホテルまでタクシーの相乗りをしたのですが、その様子を見ていたデスクが「こいつはおもしろい旅をするな」と強く印象に残っていたようで、「12万円で世界を歩く」の企画で声をかけてくれたようです。

 当時は海外のことを書くのは、すごい体験をした人や著名人、専門家に限られていたのですが、僕が書いたものは、宿がとんでもなくひどかったとか、騙されたとか、日常を書いたのが等身大で受け入れられたのだろうと思いますね。

 当時の編集部は、よく部員同士が仕事のことで喧嘩をしていましたね。それだけ熱かったんでしょうね。とにかく「何かが起こる!」、そういう不穏な、いや活気がありましたね。

 僕が12万円の旅をしたころからメディアの状況は、大きく変わってしまいました。今の状況をしっかり取り入れ、多くの人に読まれる週刊朝日をこれからも期待しています。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/旅行作家。1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」で旅行作家としてデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』

週刊朝日  2022年2月25日号