※写真はイメージです (GettyImages)
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 早稲田大学文学学術院の真辺将之教授の『が歩いた近現代』(吉川弘文館)によると、猫が化けて悪さをする、というイメージが広がったのは、江戸時代後期のこと。きっかけは、鶴屋南北の歌舞伎「独道中五十三駅」の「岡崎の化け猫」の大ヒットだった。「化け猫目撃談」もまことしやかに語られたという。

「当時の人は、『化け猫』のイメージを本物の猫に重ね、道を歩く猫まで不気味がっていたようです。『猫は文豪に愛されてきた』と思う人は多いかもしれませんが、それはおもに大正以降。江戸から明治にかけて、犬派と猫派が争うと、猫は『連戦連敗』でした」(真辺教授)

「犬派」を後押しし、「猫は悪」のイメージを広めたのが、江戸時代後期の思想家・頼山陽の「猫狗説」だ。犬は忠義があるが、猫は恩知らず。にもかかわらず、かわいい容姿や声で人にこび、いい思いをしているとし、人間もこびる者が登用されると嘆いたのだった。この文章は明治初期から中期の教科書にも載り、猫の悪いイメージを再生産。現代人が「気まぐれ」としておもしろがる猫の性質は、儒教思想が強かった当時においては「不道徳」ととらえられていたのだ。

◆都市化がすすみ猫ブームが爆発

二葉亭は猫の出産時に「取り上げ」も
二葉亭は猫の出産時に「取り上げ」も

 そんな時代、文壇に猫の強力なサポーターが現れる。近代小説の先駆といわれる『浮雲』の作者、二葉亭四迷だ。毛並みも顔つきもあまりよくないメスの白猫を溺愛していた二葉亭は、「人間の標準から見て、猫の容貌(きりょう)が好いの悪いのといふは間違つてをる」などと言い、人間界の価値観を猫に投影すべきでないとした。

 立派なことを言いながら、発情期に多くのオス猫が寄ってくると、「酒屋の猫は癖が悪い」「桶屋の猫は顔が悪い」などと品定めしていたエピソードも。残念なことに、これだけ猫を愛した二葉亭は、猫をテーマにした小説を残していない。

漱石は生涯複数の猫を飼った
漱石は生涯複数の猫を飼った

『浮雲』から約20年後の1905年、ついに生まれたのが夏目漱石の『吾輩は猫である』だ。あまりにも有名なこの作品は当時から大流行。このころ、猫が雑誌の表紙に描かれるなど、猫好きが徐々に増えた様子がうかがえる。

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