──幸せであり、悲劇……
ある意味では泣き暮らしてました。息子に言ったことがあるんです。普通の生活をしてるんだけど、気付くと、どこかが切れてて血が出てる、ような気がする、と。傷がふさがってないというか……今も……死ぬまで、そうだと思います。
──最後は一緒
優作の亡くなった年齢、40歳まで、生きられるかな、と思ってました。だから、それを超えたとき一人で泣いて、「よく頑張ってきたな」と優作から言われた気がしました。
「最後は一緒のお墓にしてね」って、子供たちには言ってます。
“愛”って、目に見えないものですよね。だからすごいんです。時空を超えるんです。言葉でも形でもない。愛があれば、その人が死んでいようが、形が変わろうが、同じなんです。肉体的なものじゃない。
死人でも、愛してたら触れますよね。他人だったら触れないですけど。つまり、死んでいようが生きていようが変わらないんです。そういう意味で、優作と私は何も変わってないんです。
──“弔い上げ”と言われる三十三回忌
仏教の“回忌”ってすごいな、と思うんです。その期間を経てこそ至る心の状態を、よくわかってるなぁ、って。私は優作の三十三回忌を迎えるにあたり、やっと、という感覚です。やっと妻としての役目が終わる、自分のお勤めが終わる、みたいな感じがあるんです。ま、終わらないとは思いますが。ひとまず終わるんです。
優作は最後に「お前の夢は全部かなえてやる」と言ってくれてました。その約束は十分にかなえてくれてるんですけど、これからあとは、もっと自由に、自分の好きなように、子供のことも優作のことも心配しないで、お前の人生の祭りを楽しんでいきなさい、と、そう言われているような気がしてます。
(聞き手・構成/渡辺勘郎)
※週刊朝日 2021年11月5日号