──「ブラック・レイン」に出演していたガッツ石松さんが撮影中の印象を、こう語る。「取っ付きにくいイメージでしたけど、あのときは皆に笑顔。エブリディ朗らか。それがフレンドリーなアメリカ映画界の雰囲気に合っててね。英語も勉強してたし、これを機会に海外の映画に出るつもりなのかな、と思ってました……」

 そうそう。楽しそうでした。優作は、あのころ、「ハワイで暮らそう」って言ってたんです。「気候もいいし、英語も勉強して次に備えたい」って。それで私がハワイの家を探してたんです。

──憧れのデ・ニーロとの共演話もあったとか

 ありました……。

──そんなときに、突然の松田優作の死

 ずっと、ずっと泣いて暮らしてて、子供もいるのにメチャクチャな生活で、学校の先生から「お子さんの生活が乱れてます」と言われたことがありました。普通、子供に悲しみを見せたらダメ、と言われますけど、乱れて当たり前と思ってました。《これは家族全員の問題なんです。全員で悲しんで全員で乗り越える。そのためには今泣かなければならないんです。確かに今はメチャクチャですけど、乗り越えるには仕方ないんです》と。私は子供が好きでイベントが好きなので、家の前の公園でカレーを食べたり(友達の家族が家の前を通るから嫌だとか言われましたが)、子供の誕生日に学年全員呼んで食べ物を配ったり、ずっと子供と遊びながら暮らしてきました。それが私の心の支えだったし、生きる目的でした。

──記者も母子家庭育ち。お子さんたちの気持ちがわかる

 今まで、恋人がいたときもありました。でも「お母さんには助けが必要なの。生きていくには助けが必要なの。お母さんが一人で、ずっと泣いて暮らすのと、お母さんに友達がいて、ちょっと幸せに暮らすのと、どっちがいい?」と、子供にはいつも正直に話してました。

──こんなふうにハッキリ言ってくれたら、母の幸せを考えられたかも

「だけど、恋人がいようといまいと、お母さんの中のお父さんは何も変わってないの。特別なの。ずっと愛しているし、ずっと同じなの」と、ずっと子供たちに言ってきました。

 お父さん、というより、あの人だから。松田優作は特別なんです。いつも、何年経っても、優作は全く別次元にいるんです。私には優作への忠誠心が、ずっとあります。あんなに愛してくれた人はいないし、あんなに尊敬できる人はいない……それが私の幸せであり、悲劇なんです。

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