塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)
塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 7年前に病に倒れ、手足に障害を抱えた俳優・塩見三省さんが、闘病や俳優としての復活を綴ったエッセー『歌うように伝えたい』を上梓した。本書を書くにあたって、自分の心と体に向き合ったという塩見さん。インタビューでは、障害者という立場や俳優業への思いを語った。

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前編/脳出血・麻痺から復活の塩見三省「ずっと死ぬことばかり考えていた」】より続く

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 この夏、家ではパラリンピックを観ることも多かった。選手たちがそれぞれに素晴らしい活躍を見せる中、「一生懸命努力すれば、奇跡は起こる、夢はかなう」というような、感動をあおる一方的な報道には、違和感を覚えたという。

「多様性とか共生社会とか、いろいろ耳に心地いい言葉を使っているけれど、結局『障害者の人たちはみんなワンチームで頑張っていて素晴らしいですね』『感動しますね』と言っているだけのように聞こえたんです。共生社会っていうのは、健常者と障害者が助け合って一緒に暮らしていく社会ってことでしょう? 健常者の人が、自分とその人たちとの問題として考えなければ、世の中の意識は何も変わらない。医学が発達してきて、人の命が助かる可能性は高くなったけれど、助けられた命も、壊れた体でその先の日常を生きていかなければならない。命が助かったから、それで良かったという話ではないんです。障害を持った人が生きていくためには、周囲の手助けも必要です。同時に障害者の人たちも社会に対して積極的にアプローチする努力が必要だと思います。いつかは本当の意味で人間の時間を共有するバリアフリーな世界が来ることを祈っています」

 そう言って、「パラリンピックでは、本当は、選手たちは出場するだけでもうメダルなんだよね」と目を細めた。

「特に外国の選手たちは、自分が以前持っていた記録を超えることができたら、それが7位でも8位でもすごく喜ぶ。私も、映画祭で評価を受けると生きる励みになるから嬉しいんだけど。自分の設定した極限を超えられたら、あられもなく喜んで生きていきたい。そういうふうに最近は思いますね。そうやって人生を歩んでいきたい、そう思うようになったきっかけは、このエッセーを書けたことにあるんです」

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