著者の解説は、歌人と作品とを全力で肯定するものだ。作品に対する批判を拾いあげつつも、最終的には作品の理解へと読者を力強く導いていく。近代短歌との比較的視点もあって、20年という区切りも、読み方次第で分厚く膨らんでいく。永井祐の項目で著者が書いている、「近代短歌への遡行が進む現在の歌壇」という言い方には新鮮な興味を覚えた。

 それにしても、短歌の世界の騒がしいこと。人間同士のぶつかりあいが今も普通にあるようだ。歌人に出会って歌を作り始める人がいる。歌集が出れば人が集まり喧々囂々(けんけんごうごう)、作風が変わるとそれまでのファンから非難の声が。そういう熱気も本書から伝わる。

 この20年、口語短歌の噴火の一方に、文語・歴史的仮名遣いで書く歌人もいた。たとえば渡辺松男。その宇宙大にまで広がる艶めく身体感覚。また、山下翔は、『温泉』というタイトルを見ただけで、その才能に期待が高まる。藪内亮輔は、川と橋をめぐる正統派の名歌を詠んだかと思えば、「言葉つて野蛮だけれど鎮魂のなかにちんこがあるのだけは好きだ」。そして川野芽生は、恋を奇習と書き(あっぱれ)、「無性愛者(アセクシャル)」を歌に詠んだ。「無性愛」という概念を、芸術(詩)としてではなく、社会的概念として開き、正面から言葉にした。こうしたすべてを通覧できる本書は、日本語表現全体に、少なくない振動を与えるだろう。

週刊朝日  2021年9月17日号