※写真はイメージです (GettyImages)
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 詩人・小説家の小池昌代さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『はつなつみずうみ分光器』(瀬戸夏子著、左右社 2420円・税込み)を取り上げる。

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 現代短歌のブックガイドが出た。この20年(2000~20年)の間に、短歌の世界にどんな新人が登場し、どんな流れがあったのか。歌人ごとに作品を例示しながら、その特質を明快に解説する。

 実は私、ここ数年、ライトヴァース的口語短歌が、どれも同じに見えてしまって、かつての興味を失いかけていた。しかし私は何も知らなかったようだ。現代短歌は驚くほど多彩に、新しさの、次の新しさを生き続けていた。

 本書『はつなつみずうみ分光器』は、「短歌を読んでみたいという人が増えてきている、らしい」という微妙な一文をもって始まる。そうだろうか。時代はもっとずっと前から表現形態としての短歌に注目していた。俳句ほどには短くなく、自由詩のような自由を持たない。しかし三十一文字には、呪いにも祝福にも転じる魔力があった。短歌は遺伝子レベルに働きかけるような力で、私たちに、言語化できない暗号を密かに送り続けてきたのではないだろうか。だから私は、短歌が怖い。

 俵万智『サラダ記念日』が出たのは1987年。その軽みと清新さは、足りなかったビタミンのごとく時代の身体に補給された。ところがその14年後の2001年、穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』が出たときには、まるで違う感触があった。異世界から異物が飛んできて、頭にすこんとぶつかった。痛っ。喜びも何もない。ただの衝撃。「ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。」なんじゃこれは。

 しかも真の驚きはその後に来た。違和感しかなかった彼の作品が、ある朝起きると急に面白くなっていた。カフカである。私は穂村の作品が、私自身を変えたのを知った。

 ちなみに同じ年、飯田有子の『林檎貫通式』が出ている。当時は気がつかなかったが、飯田の代表歌「たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔」の「たすけて」は、穂村の前掲歌「ハロー」と響き合う。あるいはここに東直子の「さようなら窓さようならポチ買い物にゆけてたのしかったことなど」の「さようなら」を重ねてみることもできよう。本書を通読すると、こうして作品が作者個人を越え、時代のなかで手を繋ぎあっているさまが見てとれる。

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