帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
※写真はイメージです (GettyImages)
※写真はイメージです (GettyImages)

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「家康の三つの養生法」。

*  *  *

【長寿】ポイント
(1)徳川家15代将軍のなかで家康が慶喜に次いで長寿
(2)家康の養生法は「粗食」「身体の鍛錬」「医薬への知識」
(3)この三つの養生法は今の世の中でも十分に通用する

 最近、徳川家の子孫である徳川宗英(むねふさ)さんが書いた『徳川家に伝わる徳川四百年の裏養生訓』(小学館)という本を手にしました。タイトルに「養生訓」とあるので、興味を持ったのですが、徳川家の15代の将軍のなかで、家康が特に養生に造詣(ぞうけい)が深かったと知りました。

 15代のなかで、一番の長生きは76歳まで生きた慶喜です。でも彼は明治、大正時代を生きた人ですから例外として、江戸時代の将軍では家康が享年73で一番の長寿です。ちなみに、上杉謙信は48歳、武田信玄は51歳でいずれも病死しています。長寿のイメージが強い豊臣秀吉が61歳、水戸黄門で有名な徳川光圀も72歳で亡くなっています。

 養生は長寿を目指すものではありませんが、当時73歳まで生きたのは、結果として養生の“賜物(たまもの)”でしょう。晩年の生き方も鮮やかです。1603年に江戸幕府を開いた2年後には、あっさり将軍職を三男の秀忠に譲りました。そのとき、62歳。その2年後には駿府に隠居しますが、豊臣家を制圧して、天下を平定するという仕事は続けます。

 同書によると、家康の養生法はとても利にかなったものです。

 まず第一は粗食であることです。ベストセラーになった『粗食のすすめ』(新潮文庫)を書いた幕内秀夫さんは、うちの病院にいたことがあるのですが「粗食とは素食である」と言っていました。それは日本という自然豊かな風土から生まれた素晴らしい食生活のことで、「貧しい食」ではないというのです。家康の時代の食事はまさにそれだったのでしょう。その上で、麦飯と味噌(みそ)を中心とした食生活をつらぬいたというのですから、大したものです。

著者プロフィールを見る
帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

帯津良一の記事一覧はこちら
次のページ