黒川博行・作家 (c)朝日新聞社
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、「デジタル時代の紙の魅力」について。

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 朝日新聞土曜版の『be』に興味深い記事があった。『紙からデジタルへ、歓迎しますか?』というもので、“歓迎する”が39%、“歓迎しない”が61%だった。

“歓迎派”の理由は、▼場所を取らない ▼便利、扱いやすい ▼保存しやすい ▼検索機能も使える──。“歓迎しない派”の理由は、▼デジタルだけになるのは困る ▼紙の方が安心して使える ▼目が疲れる ▼紙の方が早く読める──といったものだが、ここまではっきり理由づけができるんか、とパソコンで小説を書き、紙の本で読むわたしは思った。やはり同じ意見も多いようで、「この設問については『歓迎する/しない』の二者択一で答えるには無理があるとの指摘もあった。大分の女性(50)は『対象によって、デジタル化を歓迎するものもあれば、紙で残って欲しいものもある』という」と、補足されていた。

 まさにそのとおりだろう。テクノロジーの進化によって着実に、しかもコロナ禍によって速度を増すデジタル化の流れは圧倒的だが、スマホもクレジットカードも持っていないわたしは大いに困る。買い物は現金でしたいし、パソコン関連機器や資料本など、仕事で使うものは紙の領収書をもらって経費に計上したい。毎年、確定申告のときに、一年間ためた領収書の束を見ると、よくもこれだけ多くのものを買い、それらを利用して仕事をしたことだと感心したりする。

 しかしながら、文章を書くというわたしの仕事にデジタルは欠かせない。なにより推敲(すいこう)が容易なのだ。いったんパソコンに打ち込んだ文章を見直して加筆修正し、大きく一章ごと組み替えするのもキー操作ひとつでできる(デビューしたころは原稿用紙そのものを切り貼りしていたのが嘘[うそ]のようだ)。そうして原稿はメールで編集者に送り、編集者はそれをゲラ(刷り出し原稿)にして校閲(文章や原稿などの誤りや不備な点を調べ、検討し、訂正したり校正したりする)したのち、ファクスで返送してくれる。わたしはその“初校”ゲラに直しを入れ、ファクスをすると、“再校ゲラ”がもどってくる。その再校ゲラを直すと、次が“念校ゲラ”になり、エッセイなどの短い原稿はそこで校了となるが、長編小説の場合は再校、再々校、念校、念々校と、何度も繰り返されて、ようやく校了となる。それらのやりとりはすべて紙のゲラなのだ(デジタル校正もできなくはないが、何百枚ものゲラになると直した箇所が判別しにくい)が、そもそもファクスというやつが“紙”なのか“デジタル”なのかはっきりしない。

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黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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