「去年の緊急事態宣言発出をきっかけに、ずっと“エンターテインメントとは何か”を考え続ける日々でした。でも『大地』の中にその答えになるセリフがあったんです。『大地』は、ある共産主義国家で、反政府主義のレッテルを貼られた俳優たちが『演じることを禁じられた』ことに苦しむ物語です。そこで主人公が語った『一番大事なものは、お客だったんだ』というセリフが胸に響きました。どんなに素晴らしい演者がいて、どんなに素晴らしい脚本があって、素晴らしい美術があっても、そこにお客様がいなければ、エンターテインメントは存在しない。リモートでの舞台中継も増えましたが、やはり実際にご来場いただいて、生で言葉を伝えることが、一番心を感じられることなんだと」

 去年の12月から「華麗~」の撮影に入ったが、その数カ月前から、万俵大介にふさわしい恰幅にするために、体を鍛えることは控えたそう。

「健康を維持するために食事にはある程度気をつけながら、金持ちらしい贅肉をつけるために、運動(筋トレなど)を一時中断し、意識的に太らせました。散歩も好きなんですが、それも『コロナだし、セリフも覚えないとダメだから』と自分に言い聞かせて、長いこと引きこもっていました(笑)」

 中井さんのセリフの覚え方は特殊だ。自分のセリフを正確に暗記するだけではなく、台本一冊丸ごと頭の中にたたき込む。

「机に向かって何回も何回も台本を読んでいくうちに、ホンがページごとにフワーッと頭の中に記録されていく感覚なんです。細かいセリフまでは言えないけれど、全体の流れはインプットされる。最終的には、テレビを大音量でつけながら、マネジャーとセリフ合わせをします。テレビの内容が耳の中に入ってきても、ちゃんとセリフを言えるところまで、言葉を腹の中に落とし込む。そうすることで、本番中何があっても、相手役がどう動こうと、サイレンが鳴ろうと、やっていける。そこまでやれば、逆に自分が自由になれるんです」

 昭和の大物のような狡さやあくどさは感じられなくても、その佇まいには、おかしみや余裕や迫力が漂っていた。令和になって、人間はちゃんと進化しているのかもしれない。(菊地陽子 構成/長沢明)

中井貴一(なかい・きいち)/1961年生まれ。東京都出身。81年に映画「連合艦隊」で俳優デビュー。88年「武田信玄」で大河ドラマ主演。2003年の映画「壬生義士伝」では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。昨年は、ドラマ「共演NG」でのコミカルな演技も話題となった。20年紫綬褒章を受章。NHK「サラメシ」のナレーションは10年にわたって続いている。

週刊朝日  2021年4月2日号より抜粋