たび重なる金銭トラブルでマスコミをにぎわすようになったのは90年代半ばごろからだ。

 2002年には宗教法人乗っ取りを画策したとして、公正証書原本不実記載・同行使の容疑で逮捕された。最高裁まで争ったが、04年に懲役2年6カ月・執行猶予4年の有罪判決が出た。07年に格闘技イベントの開催トラブル。09年には石川県加賀市の寺を巡るトラブルでの訴訟騒ぎも記憶に新しい。

 その3年後。今度は東南アジアで養殖ビジネスを手がけだしたと聞き、取材した。

「特殊な餌と環境改善で、魚や甲殻類が通常より3倍ほどの超特大サイズになるんです。例えば15センチほどの車エビ。これがイセエビより大きい45センチになって大量生産できたらどうなると思いますか? 人類の食糧危機を救えるんです。金もうけと言うより、衆生救済なんですよ」
 
そう話す織田さんの顔は真剣だった。話を今年5月に会った場面に戻す。

 この日話題になったのは、“歌姫”倉木麻衣さんの父親で4月に心不全で亡くなった“倉木パパ”こと、映像プロデューサー兼監督の山前五十洋さん(享年76)についてだった。

「別居中だった倉木麻衣さんがデビューする前だから、21年以上前かな。芸能かテレビ関係者だったかを通じて知り合いました。(山前)監督は、かつてCM制作などで手腕を発揮された有能な方でしたから、麻衣さんがデビュー後に名乗り出て、『史上最悪の父』『お騒がせパパ』などとバッシングを受けたときも陰ながら支援していたんですよ」

 昨年10月28日、中野区のホールで、山前さんが主催した日韓親善友好と自らの喜寿を祝う音楽イベントが開かれた。客席には、舞台に熱い視線を送る、まだほおがこけていない織田さんの姿があった。

 年が明け、コロナ禍のため、高齢の2人が会うのはままならず、突然の悲報はとてもショックだったという。

 筆者も取材などで生前の山前さんとは交流があったのだが、倉木家で密葬したため、織田さん同様に線香をあげられなかった。

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「そろそろお迎えが来るのかな」