「亡くなられたのは調布市内のアパートなんです。まだ空き家になっているそうですから、体調が良くなられたら同行しますから一緒にドアの前で焼香しませんか? お経をお願いします」

 筆者がそう言うと、織田さんはにっこりとほほ笑み、即座に承諾してくれた。

「良いですねえ。私にとって励みになりますよ」

 しかし、渋谷での会食以降は、「夏バテ気味なのと新型コロナが怖いので外出を控えている」とのことで、なかなか会えず、時々電話で近況を尋ね、メモにしていた。

 10月1日の午後1時過ぎに織田さんからかかってきた電話では、こんな会話をしている。

「下痢がひどく、吐き気が止まらない」「100キロ以上あった体重が今では60キロほど。あまりにガリガリに痩せてしまい、自分の体とは思えない」「たまには、前回のように渋谷で食事を共にしたいと思っているが、体がいうことをきかない」「とにかく寒い。手足は凍ったように冷たい」と、いつも強気なのに珍しく弱気な言葉が並んでいる。

 10分ほど話すと、「もうしんどいので、切りますね」と織田さん。
「そろそろお迎えが来るのかな、て思うようになりました。でも負けてはいられません。またお会いしましょう」

 残念ながら次に会うことはなく、これが最後の言葉となった。

 享年68。毀誉褒貶(きよほうへん)の激しかった「昭和の怪僧」だったが、最後は静かにこの世を去った。合掌。
(高鍬真之)

※週刊朝日オンライン限定記事