「ロケで福岡に行った時、収録後に中洲(福岡の繁華街)の初見のクラブで『一番高いブランデー持ってきて』って頼みながらハシゴしたら、2泊くらいなのにママさんたちからお礼状が十数通届いた」

「肉は大好きでしたねえ。特に焼き肉は毎日、バンバン食べても飽きないくらい。ロケや講演であちこち行ってたから請求書が全国各地から束できましたよ」

 そもそも、なぜあれだけテレビに出るようになったのか。そのきっかけを記しておきたい。

 織田さんは帝京大学を卒業後、京都の名刹(めいさつ)などで修行し、80年代後半に創建1200年の歴史を誇る神奈川県厚木市の古刹(こさつ)・圓光寺の第49代住職に就任。それから間もなくのころだから、まだ30代半ばだった。

「ワイドショーの名物リポーターだった宮尾すすむさん(故人)が出てた番組に、墓じまいの話題で出演したのがきっかけでしたね。宮尾さんに『悪い霊が来たらどうすればいいの』と聞かれたので、私の宗派におはらいはないものですから、『気合で追い払うんです』と申し上げました」 

 そこで生まれたのが、陰陽師をほうふつさせるあのパフォーマンスだ。

「密教の邪気を払う真言『九字護身法(くじごしんぼう)』の『臨兵闘者(りん・ぴょう・とう・しゃ) 皆陣列前行(かい・じん・れつ・ぜん・ぎょう)』を唱えながら九字の印を結びました。それが視聴者に面白がられ、除霊師としてテレビに呼ばれ始めたんです」

 水晶玉を使うようになったのも、宮尾さんの一言がヒントになった。

「『ご住職から霊視の話を聞いてると、銀座ジプシーみたいですね』とおっしゃったんです。そのころ、銀座にアラブ風の覆面をして水晶玉で占いをする『銀座ジプシー』と称する女性がいましてね。『そう言えば、うちの寺にも水晶玉があるなあ。あれを使えば、X線写真みたいに霊が写るんじゃないか?』。こう考えてやってみたら、出るわ出るわ。余計な霊まで、しっかりと写り込んでしまったんですよ。それをテレビカメラの前で除霊したら、ドッとオファーが殺到したんです」

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映画「ゴースト」の“オダ・メイ・ブラウン”は「織田」からとった?