しかし、本書は清水一行『女帝小説・尾上縫』のような尾上縫の評伝ではなく、あくまでもフィクションなので、経歴などは架空の要素が多い。また、ハルと女子刑務所で同房だった宇佐原陽菜という登場人物は、ノンフィクション『女子刑務所ライフ!』に尾上縫と同房だった時の経験を記した中野瑠美を想起させる。

 登場人物たちの証言によると、ハルをめぐる連続死のうち、最初のものは、彼女の両親と兄の焼死である。敗戦で自暴自棄になった父親が振るう暴力から、家族の死によって解放されたハルは、世界への復讐という観念に取り憑かれる。そのために必要なのは、金銭──ただし、自分で自由に出来る金銭。

 金銭は本質的に自由で平等だが、それを手にする機会は男性にばかり与えられている。そこに気づいたハルは、都会に出て、水商売を手始めに、欲望が渦巻く社会をのし上がってゆく。その過程で、ハルにとって邪魔になった人間は次々と不可解な死を遂げているのだが、それは彼女が崇める「うみうし様」の霊験なのか。また、彼女が唯一、自らの手で行ったと告白した殺人の動機は何だったのか。これらの謎は朝比奈ハルのミステリアスなイメージの演出に一役買っているけれども、同時にそこには大トリックが仕込まれており、社会派と本格の両ジャンルの融合を試み続けている著者ならではの狙いが潜んでいる。

 1945年の敗戦、1990年のバブル崩壊、そして2020年のコロナ禍──繰り返す失敗の歴史と、日本社会の男尊女卑的本質を背景に、金銭を武器に戦ったひとりの女の人生を綴った本書は、実際の出来事をモデルにしつつも、フィクションならではのシンボリックな作用により、時代への鋭い批評性を備えた物語になっている。

週刊朝日  2020年12月11日号