※写真はイメージです (GettyImages)
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カウンセラーの川島崇照さんによる毒親チェックリスト (週刊朝日2020年9月25日号より)
カウンセラーの川島崇照さんによる毒親チェックリスト (週刊朝日2020年9月25日号より)

 本来は生まれたときから愛情を注がれ、道しるべとなるはずの親が、子どもにとっての毒になり、下の世代にも影響する。こんな厄介で皮肉なことはない。「毒親連鎖」を断つにはどうすればよいのか。親を捨てるという手段を選ばざるを得ない場合もある。早く気づくことが大事なようだ。

【あなたは大丈夫?毒親チェックリストはこちら】

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 看護師の弥生さん(仮名・30代)の母は、「母子家庭だからってバカにされたくない」が口癖で、ヒステリックだった。

「母がいきなり怒りだすのがすごく怖くて、母の不機嫌を全身に感じながら生きてきました。狭いアパートでの2人暮らし。母を怒らせるとほぼ逃げ場がない。苦痛でした」

 弥生さんが幼いころから、母は家庭のある男性との関係をたびたび持ち、相手との連絡役や、母の裸の写真を撮る手伝いもさせられていたという。

 高校卒業と同時に北海道の実家を出て、東京で進学。家を出ると、母は「死にたい」と連絡してくることもあり、情緒不安定だった。弥生さんの恋愛や結婚、出産に対しても否定的で、「あんたに子どもができることを受け入れられない」と言われた。

 1人目の出産後だった。家の中でも他者への怒りの感情がずっと消えず、子どもが泣いているのに気持ちを切り替えられずに抱き上げられなかった。

「なぜか心が苦しくて悲しくて、『どう対処したらいいかわからない、これは一体なんだろう』という状態になってた」

 こういうときは夫が仕事を途中で切り上げて帰ってきてくれたが、「私このままじゃ母と同じになってしまう」と思い、それまでの通院に加え、カウンセリングも受けることにした。

 さらに弥生さんが取った手段は、母との絶縁だった。これ以上、自分や家族の精神面に影響を及ぼすのを避けるにはそうするしかないと考えたためだ。2人目を出産後、病院に行くと「複雑性PTSD」と診断された。

 現在も治療は続けているが、トラウマが出て、感情的になることがある。でも、「生きづらさは、自分自身の一部、否定的には捉えていません」。

 自分の経験を連鎖させないためにも、自分の過去と向き合っている。

「毒親育ちとか機能不全家庭とかそういう言葉はとてもインパクトがあり、実際につらいことばかりです。その後の人生への影響も大きいです。でも私はそれについては『かわいそうな過去』で終えたくはない。母が不幸そうにしていたら娘はいつまで経っても幸せになれない。娘が娘の人生を安心して歩めるよう、自分が早く自分らしく生きられるようにしたいと考えています」

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