「最初のパリコレのオーディションは、単身パリに渡って、英語もフランス語もろくにしゃべれない中でどうにか生きていく、武者修行みたいな体験でした。でも、海外のスターたちと同じ環境下にいられたことは、すごい刺激になりました。それまで、パリとか行ったこともなかったけど、一つひとつプロセスを踏んでいく中で、日本にいるときよりもグローバルな視点で物事を見られるようになったし、身一つで戦うためのエネルギーを蓄えることができた気がするんです」

 人生一つ目の転機が、『成りあがり』に出会ってスカウトされたことだとしたら、二つ目の転機が戦隊ヒーローの主役を演じたこと。三つ目がパリコレだ。ファッションモデルに挑戦したことで、かえってもっと俳優として、いろんな役を演じたい思いが強くなった。

「モデルに必要とされるのは、服というアートを奇麗に見せるスタイルや技術。それは素晴らしい仕事だし、モデル自身の生き方が反映される部分もあるのかもしれないけれど、僕は、モデル活動をしたことで、人間の感情や真理や思想を見る人に届けることができる俳優という職業につけた喜びを実感しました」

 四つ目の転機が訪れたのは2年前。劇団☆新感線の舞台「修羅天魔~髑髏城の七人 Season極」に出演したときだ。自分の中で“これを転機にしなければ”という強い意志が芽生えた。

「ずっと新感線の舞台が好きで、『いつか出たい!』と思っていました。ただ、お話をいただいた時点では、まだ早いかなとも思っていたんです。でも、せっかくのいただいたチャンスだから、後悔しないようにやりたいなと。常にパンクしていた気はしますが、僕が一番若手だったから、『一番走れ!』と(演出家の)いのうえひでのりさんに言われたことが嬉しかった。本番では、精神的にも肉体的にも悲鳴をあげた分、僕が、この仕事を始めてから一番欲しかった“俳優としての評価”をいただけたような気がしたんです」

 スカウトされて以来、彼なりのやり方で必死に俳優業に取り組んできた。でも、「このままでは自分が目指しているレベルにはいけない」と思った。だからこそ、「髑髏城~」をターニングポイントにしたかった。

「最初は、いのうえさんのイメージを何とか具現化するのに必死で、自分の中のイメージを表現することが難しく感じていたんですが、徐々に、『舞台の稽古というのは、自分が発想できないことをじかに教えてもらえる場なんだ』と気づいた。そこから、いのうえさんの芝居をただなぞるだけじゃなく、自分らしさも加味していいとわかって、稽古で教わったことと自分のオリジナルが融合できたときに、何かを掴めた気がしたんです」

>>【竜星涼「俳優じゃなかったら何をやっていたか」自粛期間に考え抜いた答え】に続く

(菊地陽子、構成/長沢明)

週刊朝日  2020年9月4日号より抜粋