コロナ後の“笑い”は? 三宅裕司、YouTube挑戦と劇場再開への想い (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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コロナ後の“笑い”は? 三宅裕司、YouTube挑戦と劇場再開への想い

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中村千晶週刊朝日
三宅裕司(みやけ・ゆうじ)/1951年、東京都生まれ。幼い頃から日本舞踊、長唄、小唄を習う。明治大学経営学部へ進学し落語研究会に所属。79年に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」を旗揚げし、主宰となる。テレビ、ラジオ、舞台で活躍。2004年から伊東四朗、渡辺正行、小倉久寛らと「伊東四朗一座」「熱海五郎一座」を座長として上演。シリーズ第7弾「Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー~日米爆笑保障条約~」の公演が待たれるなか「三宅裕司公式YouTubeチャンネル」を開設。(写真提供:アミューズ)

三宅裕司(みやけ・ゆうじ)/1951年、東京都生まれ。幼い頃から日本舞踊、長唄、小唄を習う。明治大学経営学部へ進学し落語研究会に所属。79年に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」を旗揚げし、主宰となる。テレビ、ラジオ、舞台で活躍。2004年から伊東四朗、渡辺正行、小倉久寛らと「伊東四朗一座」「熱海五郎一座」を座長として上演。シリーズ第7弾「Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー~日米爆笑保障条約~」の公演が待たれるなか「三宅裕司公式YouTubeチャンネル」を開設。(写真提供:アミューズ)

三宅裕司YouTubeチャンネルのメインビジュアル。8歳の三宅さんが日舞を踊っている

三宅裕司YouTubeチャンネルのメインビジュアル。8歳の三宅さんが日舞を踊っている

 座長を務める「熱海五郎一座」の公演中止を発表した三宅裕司さん(69)。大学卒業後、喜劇役者を目指し、長年にわたって笑いを届けてきた。このコロナ禍のさなかには、YouTubeへ進出。ネットを通じて笑いを届ける新たな試みを始めた。そんな三宅さんが笑いについて語る。

[前編『三宅裕司の“笑いの原点”は? 今も「東京の笑い」目指す』より続く]

【写真】8歳の三宅裕司が飾るYouTubeチャンネルのメインビジュアルがこちら

 瞬発力と反射神経が勝負のバラエティー番組で司会をこなし、舞台では作り込んだコントで笑いを生み出す。両輪で活躍を続けるなか、2011年の夏に大病を患った。脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)だ。

「ずっと足に痺(しび)れがあったけど、そのうち治るだろうと思っていた。それがよくなかったんです。足にまったく力が入らなくなって救急車で運ばれた。先生に怒られました。『なんでもっと早く来なかったんだ』って」

 手術をしたが、下半身は麻痺(まひ)し、足は動かなかった。

「一番つらかったのは、治るかどうかわからなかったこと。リハビリの先生も未来のことは何も言わないんです。言えないんでしょうね。『これはもう自分ががんばるしかない』と真剣にリハビリに取り組みました。ニュースで見ていた東日本大震災の被災者の方々の姿も支えになりましたね。『あんなに大変な人たちががんばっているのに、弱音を吐いてる場合じゃない!』って。ある日、奇跡的に足がピクリと動いたときは嬉(うれ)しかったなあ」

 もうひとつ、大きな助けがあった。

「うちの奥さんがね、天然なのがよかったんです。あっけらかんと『2週間で治るわよ』って。訳わかんないでしょ?(笑)でもそれが支えになったんです」

 結婚は35歳のとき。だが出会いは小学校時代だ。

「4年生のとき女房が転校してきたんです。女房の初恋の人が僕だった」

 高3のときクラス会で再会し、交際がスタート。だが結婚まで7回別れたという。劇団を立ち上げ、収入もない身で結婚を申し込めなかったことが理由だ。


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