八千草薫さん (撮影/岡田晃奈)
八千草薫さん (撮影/岡田晃奈)
林真理子さん
林真理子さん

 連載開始25周年を迎える林真理子さんの「マリコのゲストコレクション」。歴代の女性ゲストの話から、「生き方を考える言葉」を選りすぐり、振り返ります。今回は、清楚な女性を演じ、舞台や映画、ドラマで活躍し、昨年亡くなった女優の八千草薫さん(2013年11月22日号)。宝塚を退団後、映画監督の谷口千吉さんと結婚。“理想のお母さん”のイメージでテレビドラマに進出し、1977年の「岸辺のアルバム」では、年下の男性と不倫する主婦を演じて新境地を開きました。対談時も、ゆっくりと甘やかな声に、マリコさんもうっとりで──。

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八千草:私は母と二人きりでしたから、戦争中はうちを焼かれて大変でしたし、戦後はもっと大変でしたね。食べるものがなくて。それできれいなものにあこがれちゃったんですね。新聞に「宝塚音楽学校生徒募集」と出ていて、あっと思って入ってみたくなっちゃったんです。母に「絶対受からないから、得心がいくように受けるだけ受けなさい」と言われて、そのつもりでいたんですけれど、受けたらなぜか受かってしまいました。

林:歌はお上手だったんですか。

八千草:受験前に女学校で聖歌隊に入ったばかりだったんです。

林:お父さまとお母さま、どちらに似ていらっしゃるんですか。

八千草:父は2歳のときに亡くなっていて、父の写真は若いときのものしかないんです。どっちに似ているのかな。やっぱり半分半分。おでこなんかは母に似ています。口は父に似ているなと思ったり。

林:近所でも評判の美少女だったんでしょうね。

八千草:そんなことないです。もうほんとにダメだったんです。一人っ子ということもあったんでしょうね。何しろ人の中に入るのがダメでしたから。お客さまがみえると、隠れて出てこないという。

林:そういう方が宝塚に入って大丈夫だったんですか。ラインダンスで足を高く上げたりするのはできたんですか。

八千草:そういうのは大丈夫というか、レッスンはすごかったですけどね。阪急電車の西宮北口というところで乗り換えていたんですけど、階段で足が上がらないんですよ。いつも手すりにつかまって階段を上がっていました。みんなそうでしたね。

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