よこお・ただのり=1936年、兵庫県生まれ。瀬戸内寂聴氏との往復書簡「老親友のナイショ文」を本誌に連載中。
よこお・ただのり=1936年、兵庫県生まれ。瀬戸内寂聴氏との往復書簡「老親友のナイショ文」を本誌に連載中。

 小説家の吉本ばななさんが選んだ今週の一冊は、『タマ、帰っておいで』(横尾忠則、講談社、2200円)。

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 2018年に横尾忠則現代美術館で「横尾忠則の冥土旅行」という展覧会があった。オープニングにお招きいただいて神戸に行った。

 ものすごい内容の絵が大量に目に入ってきて、圧倒された。

 冥界、宇宙、気が遠くまた目の前が暗くなるセクシャルさ。セクシャルなことって全てが暗い死の世界に接することだと思うので、正確さにゾッとした。真実って人に描けるものなんだ、そう思った。

 若いときに世の中に出た私はいろいろな目に遭った。「小説を書きたいって言ってるだけなのに、なんでこんなことに? みんなよほどひま?」そう思った。ゴミ箱をあさられたり、彼氏の給与明細が彼氏の同僚に盗まれて発表されたり、飲み屋でいきなり怒鳴られたり、来るインタビュアーが金の話しかしないばかりか小説を読んでなかったり。「この世ってひどいとこだな」と思ったが、自殺しないですんだのは私の才能を正しく捉えて読んでくれる人たちがいたからと、「わずかながらも楽しそうな先輩たちがいる、その人たちの目の中に自分の未来が見える」と思ったからだ。尊敬できる目上の人たちは全員お金の話をせず、上手に若い才能をつぶす言葉を会話に仕込んだり決してせず、強がらず見栄をはらず、ありのままに存在し、そして楽しそうだった。

 そんな人のひとりが、横尾先生だった。横尾先生はパーティでものすごい勢いでカナッペを食べたり、カメラマンに「もう充分撮ったじゃない、長いよ」と言ったり、滝のポストカードをびっくりするほど集めたり、出前のとんかつを楽しみにしたり、ものすごい小説を書いたり、していた。私は渋谷陽一さんに「横尾先生みたいになりたい。だって楽しそうだから」と言った。そうしたら渋谷陽一さんは「いや、話を聞いてるとたいへんらしいよ」と言った。そうか、と私は思った。そんなにたいへんなのに、楽しみに向かうことをなにがなんでもやめないように見える、それだったらもっといい。

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