もちろん今日では、秋田や金沢のような日本海側にも新幹線が通じ、島根にも空港ができた。今西が体験したような、夜行列車に長時間乗らなければならない難行苦行は、もはや完全に過去のものとなった。けれども、東京への一極集中が加速することで地方は人口減少や高齢化が進み、限界集落も増えつつある。公共交通機関が衰退し、自家用車がなければ生活が成り立たない地方の町や村も少なくない。

 そう考えると、『砂の器』で清張が描いた格差の問題もまたなくなったわけではない。いや、東京と地方どころか、同じ東京のなかにすら格差がある。和賀英良は田園調布に、今西栄太郎は滝野川に、そして女給の三浦恵美子は渋谷駅から坂を上がったところにある木造賃貸アパートに住んでいた。それぞれの所得に応じて住所が違ったのである。こういう設定は地図を見るのが好きだった清張ならではのものだが、今日の東京における所得と住所の関係にも応用できそうである。

『砂の器』のほかに私が魅力を感じる清張の長編小説は、未完に終わった『神々の乱心』だ。昭和初期に起こった二・二六事件や第二次大本事件などの「不敬」事件に関する膨大な史料や聞き取りをもとにしながら、近代天皇制の闇に迫ろうとしたこの小説は、最晩年の清張の知的関心がどこにあったのかを雄弁に物語っている。

 新型コロナウイルスの感染の広まりは、皇室にも影響を及ぼしている。天皇や皇后は海外訪問ばかりか、地方への行幸や行啓も控えているからだ。それでも天皇は、皇居の宮中三殿で行われる祭祀は続けている。3月の春季皇霊祭・同神殿祭では、皇后も一緒に拝礼した。

『神々の乱心』は、月辰会という教団の地下にあった「聖暦の間」の儀式を通して、宮中祭祀における女性の重要性を浮かび上がらせている。令和の天皇制を考える上でも、その視点は輝きを失っていない。

週刊朝日  2020年5月29日号