江川卓、清原和博、元木大介 、内海哲也、長野久義、菅野智之「巨人入りを熱望した」選手たちのその後 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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江川卓、清原和博、元木大介 、内海哲也、長野久義、菅野智之「巨人入りを熱望した」選手たちのその後

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梅宮昌宗週刊朝日
ドラフト前日、巨人と電撃的に契約を結んだ江川卓=1978年11月21日(C)朝日新聞社

ドラフト前日、巨人と電撃的に契約を結んだ江川卓=1978年11月21日(C)朝日新聞社

ドラフトで西武に指名されたPL学園高の清原和博。記者会見ではうつむき加減だった=1985年11月20日(C)朝日新聞社

ドラフトで西武に指名されたPL学園高の清原和博。記者会見ではうつむき加減だった=1985年11月20日(C)朝日新聞社

巨人に1位指名されず、ドラフト中継のテレビにも目もくれずに肩を落とす上宮高の元木大介=1989年11月26日

巨人に1位指名されず、ドラフト中継のテレビにも目もくれずに肩を落とす上宮高の元木大介=1989年11月26日

 巨人入りを熱望した選手たちには様々なドラマがある。ドラフトで入団がかなわなかった清原和博は記者会見で涙を流し、江川卓と長野久義は他球団に2度指名されたが入団を拒否した。選手が希望の球団に行けないのは不条理だという声が上がる一方で、希望球団に行けなくても活躍してその球団に愛着を持つ選手もたくさんいる。以下の6選手は巨人に恋い焦がれ、波瀾(はらん)万丈の道を選択した。

【画像】巨人に1位指名されず… あからさまに肩を落とす選手たち

・江川卓(巨人)64歳

 作新学院高(栃木)時代に春の選抜大会で1大会通算最多奪三振60個、8者連続奪三振、春夏通じて甲子園で奪三振率14.0と新記録を次々と樹立。打者がバットに当てるのも困難な豪速球で「怪物」と形容された。1973年秋のドラフト1位で阪急(現・オリックス)に指名されたが入団拒否。法大に進学すると、東京六大学リーグ通算2位の47勝をマークした。77年秋のドラフトでクラウンライター(現・西武)に1位指名されたが、再び入団を拒否した。

 法大卒業後は作新学院職員として米国に留学。巨人が「ドラフトで交渉権を得た球団が指名選手と交渉できるのは、翌年のドラフトの前々日まで」という野球協約の盲点を突き、78年11月21日に電撃契約を結んだ。

 だが、セ・リーグ会長はこの契約を無効と裁定。これに反発した巨人が欠席した同年秋のドラフトで4球団が競合し、阪神が交渉権を獲得した。

 巨人は江川との契約の正当性を主張して収束がつかない事態となったため、金子悦コミッショナーが「江川には一度、阪神と入団契約を交わしてもらい、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」と異例の要望を発表。阪神に一度入団し、すぐに小林繁と交換トレードという異例の形で巨人に入団した。

 入団の経緯から批判の声も大きかったが、先発の大黒柱として奮闘。しかし、幕引きはあっけなかった。プロ10年目を迎える前に、右肩の故障を理由に32歳の若さで現役引退。通算135勝72敗、防御率3.02という成績が物足りなく感じるのは、不世出の投手として期待されたからだろう。


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