佐藤:観念的にはわかるけれど、うーん、どうかなあ。母親というものにはどうしても断ち切れない母親としての「情」というものがあるでしょうに。それを断ち切るというのは簡単じゃないと思うけど。

三田:でも、母親を卒業するというのは決して子どもを切り捨てるということではないんです。親子としてはもちろん切っても切れない縁があります。でももう親としての意見や指図などはしないと決めたのです。ただ「あなたも自分の考えで行動したら?」と友達のように接して、距離を置いて支えてあげる。

佐藤:私はいつまでも母親を引きずっていますよ。卒業なんて、とても。娘に対して気に入らないことはいっぱいありますから、それを言いたくなる。それで言うんです。自分の子だから言うんです。隣の娘さんには言わないけれど。子どもは自分の分身だから言う。気にかかる。母親の業というか。それが人間の自然というものじゃないかしら。でもあっち(娘)は反駁しない。黙っているたちなんですよ。娘のほうが「卒娘」してるのかもしれないけれど。だから私がひとりで怒っていたり、干渉している。

三田:うちはさまざまな葛藤がありましたからね。2人の子どもたちが成長していく上で、母親として足りていないという思い、私の病気、母の死、事件。本当にいろいろなことがありました。

佐藤:よく考えてみれば私がなめた辛酸は、身を粉にして働きまくれば、解決の先が見えてくるという苦労でした。それにひきかえ三田さんのご苦労は、身を粉にして働けば解決できるというものじゃない。いつ頭から雷が落ちてくるかわからない。頑張るにもいつ、どう頑張ればいいのかわからない。「雷のご都合」だから。雷が落ちるのって防ぐためにあらかじめ用意しておくこともできない。雷はいつ落ちてくるかわからない。自分が何かをつつしめばいいということではない。よく耐えてこられましたねえ、三田さん。私は三田さんを心から尊敬します。これがホンマモンの強さなんでしょう。私は強いといわれるけれど、ただガムシャラに生きてきただけですからね。

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