12歳の私は、そんな色気など、何もわからず、ただ目の前にくり広げられるこの世ならぬ華麗な舞台に、夢中になりました。初めての舞台の題も覚えていませんが、「マグノリア」という舞台は、なぜか題も中身も、今でも思い出されます。これは葦原邦子が男役で主役でした。

 五つ年上の姉が、私以上に宝塚に夢中になったので、二人で船に乗って神戸へゆき、走りこみで追ったものです。

 当時は、女学校では、映画も禁じられていたのに、宝塚は、男が一人も舞台にはいないので、見ることを許されていたのです。土曜の夜の船で神戸に往き、日曜の夜の船で徳島に帰り、月曜の授業を受けるという離れ業を毎回しました。

 帰った日は、授業が終わると、私のクラスの生徒はみんな残り、私から、宝塚の舞台のすべてを聴くのが楽しみでした。私は口をきわめて舞台を語り、セリフまで真似しました。残念ながら歌が下手なので、主題歌が伝えられません。

 でも、そうやって、何度通ったでしょうか、女学校を卒業して、東京女子大に入ってからは、ピタリと熱がさめ、年に一度か二度くらいしか観ていません。愕(おどろ)いたのは、あの男役のスターの葦原邦子が、「昭和の夢二」といわれた抒情画の名手で、少女たちの憧れの的だった中原淳一と恋愛結婚したことでした。

 中原は私の故郷の徳島の出身なので、私は格別の好意を持っていて、その絵を愛していた為、この結婚にはびっくり仰天しました。

 後年、「ひまわり」や「それいゆ」という女性向けの雑誌を出版した中原と個人的にも親しくなったので、葦原との結婚があまり幸せではなく、後年、中原は妻子と別れ、一人住むようになり、度々、彼から話を聞くこともありました。

 葦原邦子は、中原の子供も産み、女としての主婦役も務めましたが、気性がしっかりしていて、中原は結局、支配される形になったようでした。家族たちは母親につき、中原の晩年は独りになり、孤独なものでした。

 人の一生は、終ってみないと、幸、不幸もわかりませんね。

 それにしても十二月に入って急に寒くなりましたね。どうか風邪などひかないようにして下さい。では、またね。

週刊朝日  2019年12月27日号