「西鶴は好奇心がにぎやかな作家ですね。はるかな存在ですけど、忙しさにへこたれそうになった時、ふと西鶴の姿が過(よ)ぎるんです。物書きとしてかくあるべしと、腹を括(くく)り直す」

 遮二無二書くうえで、心がけは、ただひとつ。

 自己模倣だけはすまい。

「書き方なり、人称なり、時代なりと方法は様々やけど、いつも初めての道を進みたいんです」

 辞書や年表ではたった2行ほどの記述でも、不意に何かを感じる。なぜそんな事態に陥ったのか。あるいはこの人がなぜこんなことをなしえたのか。

「想像を広げ、発見するのが、楽しくて。書いていると、時を忘れてしまう」

 だから、締め切りは怖いが、執筆を仕事にしている感じはない。読者はありがたい応援団、そして貴重な示唆をくれる人々。

 編集者経由で便りが届く。どれもうれしいが、ひときわ忘れられないはがきがある。91歳男性からだった。

 ……私はまだ生きている。そのことを確認するために、小説を読んでいます。

 この言葉はずっと胸にある。そして、たくさん書くことで何を生み出せるか、と自身への興味も抱く。

「今書いているものは、今の私にしか書けないのだ、と信じています」

 透明な存在になること。

 執筆の前提をそう語る。スタート前に用意するのは手づくりの年表だけ。プロット(筋書き)は用意しない。

 例えば『グッドバイ』は、欧米諸国の思惑や、幕府や雄藩の動きで坩堝(るつぼ)のような時代を、一介の女性商人の目に映る世界から描き出したかった。坂本龍馬や大隈重信らとも交誼(こうぎ)を結び、経済的に支えたお慶だったが、詐欺事件に巻き込まれ、巨額の借金を背負い込む。

「そのときの彼女の心情を知りたくて、ただ追いかけたんです。そしたら『お慶はこう考えたのではないか』と思い至った。書きたくなるのはいつも、そういう『?』の大きな人です」

 資料をひもとき、地図を追い、言葉を探る。言葉が言葉を呼び、文章が文章を呼ぶ。物語のほうから要請があり、突き動かされる。

「背筋がぞくぞくする瞬間、あるんです」

 見たことのない世界が見える醍醐味。それは作家に許された果実の味だろう。

 近頃、自身の変化を感じている。

「ずっと登場人物の気持ちを推し量ってつづってきたせいか、自分自身の感情にこだわらなくなった。もちろん腹も立つし、舌打ちすることもあるけれど(笑)、負の感情は長続きしない。とっとと小説に戻るから」

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