――『人間』の主人公、永山の父が沖縄出身で、作中でも沖縄に触れる場面がありました。

「僕にとって沖縄はルーツであり、特別な思いがあります。理屈ではなく、自然と懐かしい気持ちになります。100歳になる祖母や父が住んでいて、親戚もいます。18歳まで大阪で育ちましたが、その時から定期的に沖縄に帰っていました。故郷みたいなイメージです」

――両親はどんな存在ですか。

「両親の影響をもろに受けて育ちました。一緒に居て安らぐと言うより、一番興味がある存在です。特に母は、芸人や作家として認められるとか、そういう価値基準で生きていません。32歳でテレビ番組の出演が増えた時も、『私は職場の朝礼で4~5人の前で話すのもしんどいのに、あんなに大勢の前に出て話すのはしんどいでしょ。あなた一人くらい生活させる蓄えぐらいあるから』と言っていました。『元気そうでよかった』『疲れるんだったらやめたら?』という感じです」

――沖縄出身で芥川賞作家の又吉栄喜さんと接点はありますか。

「直接はありませんが、又吉栄喜さんが『豚の報い』で芥川賞を受賞した時、僕は中学生で、高校1年生の時に初めて『豚の報い』を読み、他の作品も読みました。僕が芥川賞を受賞した後、ある番組で又吉という名前の由来を探るという企画があって、『又吉という名前は二つ良いことがある』という見解が紹介されました。これを受けて、又吉栄喜さんから『芸人をやりながら、小説も書いている。二つあるのはいいんじゃないかと』いうコメントをいただきました」

――『人間』の登場人物の一人、ナカノタイチがハウス出身の芸人を「文化人になりたいだけの芸人」と批判する場面があります。

「ナカノタイチに関して思うのは、何か作品に対して、厳しいスタンスを持っている方を人は信用してしまうということです。例えば、10軒の店で食事して、9件について『まずい』と厳しい見方をした人が、『この1軒だけはおいしい』と言った場合、『そんなに厳しい見方をする人が褒める店はおいしいに違いない』と信用してしまうシステムは実際にあります。ナカノは、はっきりと嫌いと言える強さに人は引かれてしまうというシステムに安易に寄りかかってしまいます」

「でも、辛口評論家のなかには本質的ではないことを言っている人もいて、それぞれを精査する必要があるんじゃないかという疑問は前から持っていました。実は10軒とも褒めて、その中で強弱を付けられる人が、9軒否定して1軒肯定した人に匹敵する論を起こせたなら、そっちのほうが難易度はずっと高い。これはどうしても伝えたいというわけではなく、そういう風景があるということを描きました」

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二つの才能