9月、宮崎・木崎浜海岸であった世界選手権に出場した五十嵐カノア (c)朝日新聞社
9月、宮崎・木崎浜海岸であった世界選手権に出場した五十嵐カノア (c)朝日新聞社
幼少期のころの五十嵐カノア(左から2人目)。米国で過ごした家族の絆は強かった (c)Igarashi
幼少期のころの五十嵐カノア(左から2人目)。米国で過ごした家族の絆は強かった (c)Igarashi

 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第6回はサーフィン男子・五十嵐カノア(22)。インスタグラムのフォロワー数は22万5千人。サーフィン界で圧倒的な人気を誇るのが、米国のカリフォルニア州で生まれ育ち、日本代表として戦う。五輪で初めてサーフィンが実施される2020年東京大会。新競技のスター候補が、「東京」にかける思いは強い。(朝日新聞社スポーツ部・照屋健、室田賢)

【写真】幼少期のころの五十嵐カノア選手

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 17年12月25日。世界を転戦する五十嵐がクリスマスに帰国し、開いた会見に集まった報道陣は、わずか15人ほどだった。

「久しぶりに日本に帰ってこられて、うれしい」

 まだ表情はあどけなかった。

 世界のトップ選手しか参加できない世界最高峰のチャンピオンシップツアーに日本選手で唯一、参戦していたが、ランキングは17位だった。まだ世界のトップは遠く、国内での注目度はそこまで高くなかった。黒いジャケットに身を包んだ細身の20歳は、はっきりと目標を口にした。

「まずは、チャンピオンシップツアーでトップ10に入りたい。親戚も家族もみんな日本人。オリンピックに行って、みんなに自分のサーフィンを見せたいな、という気持ちがある」

 それから2年。着実に階段を上った。

 18年に全米オープンで2連覇を達成すると、今年5月にあったチャンピオンシップツアー第3戦では日本選手として初優勝の快挙。テレビのニュースなどでも報じられ、国内での注目度は一気に上がった。

 9月に宮崎・木崎浜海岸であった世界選手権では五十嵐を一目見ようとしたファンが、客席を埋め尽くした。それまで、サーフィンを見たことのない若い女性の姿もあった。

 10月時点でのチャンピオンシップツアーランキングは6位。10位以内に与えられる五輪出場権を暫定的に獲得した。

 この2年で、どこが成長したのか。父の勉さん(55)は証言する。

「今年になって、ようやく彼が目標としてきた体重80キロに到達した」

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