「楽園」で描かれる村人たちの動きは、外国人への差別問題や同調圧力なども含めて、現代社会の風刺といえるだろう。

「人間というのは、たとえボタンのかけ違いがあっても、修正していく能力を本来持ち得ているはずなんです。でも案外持てていない人も、世の中にはいっぱいいるんですよね。あおり運転の問題なんかも、そういうことなんです。修正すべきなのにできない。そこに人間の愚かしい部分があり、闇に引き込まれていく可能性があると思います」

 今作の登場人物の多くは、大切な人を失った悲しみと闘い続けている。善次郎は最愛の妻を若くして亡くした。失踪した少女の友人で、失踪直前まで一緒にいたために心に傷を負ったまま成長した女性・湯川紡(つむぎ=杉咲花)、失踪少女の祖父(柄本明)も、なかなか喪失を受け入れられずに苦しむ。

「善次郎は自分の中に抱えているものを、前向きにエネルギーとして発散しようと思う。それで始めたのが養蜂であり、さらに蜂蜜を利用して村おこしをしようと考えた。でも村人との間でボタンのかけ違いが起きてしまうんです」

 孤独な善次郎に寄り添うのが、やはり夫を交通事故で亡くして息子と共に帰郷した女性(片岡礼子)。

 二人は日帰り温泉に向かい、混浴の湯につかる。新たな恋の予感がしたのも束(つか)の間、善次郎は亡き妻への思いを断ちがたかったためか、突飛(とっぴ)な行動を取りその場をぶち壊してしまう。

「あのふるまいのために、片岡さん演じる女性はどれだけ辱められたか。滑稽にも見えるシーンですけど、その様子から二人のもの悲しさ、痛みを感じとってもらえればいいと思ったんです。それで監督に提案しました。どう出るかは賭けでしたが、多少はうまくいったんじゃないかと思っています」

 たしかに、このシーンは作品に重厚さを与えることに成功した、と感じさせる。監督への提案は、佐藤さんの真骨頂でもある。

 若い頃は、撮影現場で監督と激しくやり合ってきた。映画初出演は1981年の「青春の門」で、20歳のとき。デビュー間もなく「生意気」というレッテルを貼られてしまった。

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